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2020年度第3回コレクション展

コレクション展

2020年度 第3回コレクション展

2020.10.08 thu. - 12.20 sun.

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西洋近代美術作品選

 当館所蔵・寄託の西洋近代美術の優品を紹介するコーナーです。今回は、同時期開催の「人間国宝 森口邦彦 友禅/デザイン 交差する自由へのまなざし」展に関連し、スイス出身の画家・美術理論家・教育家であるヨハネス・イッテン(Johannes Itten, 1888 – 1967)の作品を紹介します。
 森口邦彦は、フランス国立高等装飾美術学校(ENSAD)留学中にジャン・ウィドマーに師事しました。スイス出身のウィドマーは、ENSADで初めて、バウハウスを参照したグラフィック・デザイン教育を取り入れたことで知られています。ウィドマーは、1940年代後半チューリヒ工芸学校に学んでいますが、当時の校長がヨハネス・イッテンでした。イッテンは、1919年のバウハウス創設時から1923年まで教授を務め、その予備課程の構築に尽力しました。バウハウスを辞したあとも、ベルリンやクレフェルトで、さらに戦後はチューリヒで、自作制作の傍ら美術教育とその理論の研究・実践に努めました。特にその色彩理論は、1961年に著書『色彩の芸術』として結実し、各国語に翻訳されて、今もなお世界の造形教育に大きな影響を与え続けています。
 《ヨハネス・イッテン版画集》は、イッテンがバウハウスに着任する直前に制作されたリトグラフ作品集で、風景・花を描いた2点、人体を描いた4点、そして抽象的コンポジションの4点からなります。「絵画は静止した構築物ではなく、視覚の可能性や視線の動きの領野」だという考えから、彼は当時、「時間のある瞬間や限りない運動性の印象」をいかに表現するか模索していました。本作品においてイッテンは、それを勢いのある筆の描線や重なり合う渦巻きのフォルムで試みています。
 モノクロの版画作品に対し、晩年に制作された油彩画《幸福な島の町》は鮮やかな色彩が印象的です。1950年代後半から『色彩の芸術』執筆の傍ら、イッテンは数多くの幾何学的抽象画を制作しています。彼の関心は、色の対比関係の分析とコンポジション上の統合を決定的な調和にもたらすことにあり、そのために色の作用の仕方とその認識の可能性をさまざまな位相において考察しました。本作品では、緑地に囲まれた水域に浮かぶ島の情景が方形の色面で表現されており、赤を頂点とする暖色の階調と寒色とのコントラストのリズミカルな配色が、周縁から島へ高まる幸福感を観る者に喚起します。
 描線や色彩といった基礎的な造形要素を用いて、作品にいかにダイナミズムや調和をもたらすか、イッテンが生涯をかけて考察した成果は、ウィドマーを経由して、確かに森口の制作姿勢に影響を与えています。


パンリアル美術協会解散によせて 山崎隆《森》1949年

 たまたま、今年度第2回展で「歴程美術協会からパンリアル、パンリアル美術協会へ」という特集展示を行う予定にしていました。ところが、コロナ感染拡大に伴う臨時休館により白紙となり、スケジュールを組み直している最中、パンリアル美術協会が今年4月に解散したことを知り、当初の内容を変更し、パンリアル美術協会結成後に焦点を当てます。
 パンリアル美術協会は、前年結成されたパンリアルから陶芸家や油彩画家が抜けたのを機に日本画家に会員を限定し、昭和24(1949)年に結成されました。結成時のメンバーは、山崎隆、三上誠、星野眞吾、田中進(竜児)、不動茂弥、松井章、大野秀隆(俶嵩)、小郷良一、佐藤勝彦、下村良之介、鈴木吉雄で、第1回展を藤井大丸で開催すると共に、「パンリアル宣言」を発表しています。この宣言によれば、パンリアル美術協会は、因習にとらわれた日本画壇の打破。広く科学的、文化的、世界的視野に立っての旧来絵画の批判・検討。生活感情の激しい内燃からの科学的実験的方法による絵画におけるリアリティの徹底的追究。モティーフ、材質技法の両面に於ける膠彩芸術(=日本画)の可能性拡大。を旨としており、第二次世界大戦敗戦後、停滞していた日本画界に新風を吹き込みました。本特集ではその歩みを、ピカソ風、シュルレアリスム風、と、まずは海外の潮流を取り入れて旧来の日本画からの脱却を図った結成から2年間の熱の籠った若々しい活動と、落ち着いて制作に取り組み、それぞれが独自のモティーフと材質技法を見つけ出し変革を遂げた1950年代後半から1960年代の活動を、パンリアル展出品作を中心に展示し、辿ります。その中で、田中竜児作品は、修復を経て当館で初めて披露するもので、パンリアル展出品以来実に70年ぶりの公開となります。修復のためパネルを解体する中で発見された作品や、出品画構想のためのデッサンと考えられる素描と共に、お楽しみください。


なぜ芸術家はフランスを目指すのか? 畠山直哉《Atmos #07303》2003年

 フランス、特にパリに芸術家が集まるようになったのは19 世紀以降のことです。それ以前のヨーロッパにおいて、若手芸術家に王立アカデミーが推奨した留学先は、イタリアの古都ローマでした。フランスでは市民革命を経てルーヴル美術館の開館や官展(サロン)の開催、国立美術学校(通称エコール・デ・ボザール)設立、さらに美術批評の隆盛や画商の登場といったインフラの整備が進んだことで、パリは多くの芸術家にとって憧れの都となったのです。
  1874 年には無審査のグループ展として印象派展が開かれ、アカデミズムと決別した新しい絵画運動がおこります。ドガ、モネ、ルノワールはボザール出身。またボナールやヴュイヤール等ナビ派の画家たちが通ったアカデミー・ジュリアンは、女性や外国人の入学を認めていた数少ない私塾でした。こうした外からの風は、20世紀に入ると芸術家コミュニティを形成し、新しい運動を生み出す原動力となっていきます。若きピカソが住処とした「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」にはモディリアニ。シュルレアリスムとの出会いを果たしたエルンストとマン・レイ。抽象絵画の思索の場となったモンドリアンのアトリエ。日本からの鬼才・藤田嗣治。ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは、パリについて書かれた多くの文学は、「〈世界の首都〉に寄せる愛の告白」であり、「この都市をきわめて情熱的に愛する者は、ほとんどつねに、外からやってきた」と記しています。
 第二次世界大戦後はアメリカ・ニューヨークが美術の中心地となります。それでもなお、パリは豊かな美術遺産に触れ、創作の刺激をもたらす場所であり続けています。今回の展示では、戦後日本から渡仏・滞在した堂本尚郎、菅井汲、田淵安一の前衛的絵画、十五代樂吉左衛門がフランスで作陶した茶碗、畠山直哉のアルルの国際写真展出品作、ルーヴル美術館での気づきから生まれた笠原恵実子の彫刻作品をご紹介します。


模様の美 並河靖之《蝶に花丸唐草文飾り壺》明治時代 撮影:木村羊一

 文物を装飾的に彩ることは、洋の東西を問わず、原始・古代から行われてきました。そこで表されているものは、何かの象徴であったり、他と区別するためのものであったりします。そして、あるものの表面を絵や図などで彩ることでその真価を発揮させる役割を担うもののことを、模様(文様)と呼びます。模様には、自然の事物や現象、生物からとられたもののほか、幾何学的展開をみせるものなど様々な種類が存在します。それらは各時代、各地域の中で独自の発展をみせる一方で、時代や地域、分野間を横断して用いられることで、古典や流行となったものも多々みられます。よく知られた例としては、江戸時代の「ひいながた」と呼ばれる着物の図柄を描いたパターンブックがあります。一種の模様集ともいえるこれらの書籍に描かれた図柄は、同時代の陶磁器などにも応用されることがありました。このようにある模様を形態や技法、表現媒体にあわせて組み替えるという手法は、工芸制作では当たり前のように行われており、それは近代以降、現代においても変わりません。一方で、例えば、近現代工芸の扉を開いた代表的な一人である富本憲吉は「模様から模様を造らず」との誓いを立て、模様の独創性を重視しました。そのために富本は、自然写生から直接模様を作り出すという試みを実践しました。このような写生による模様制作は、友禅の森口華弘をはじめとする様々な作家たちが共有する手法でもあります。しかし、同時に、後年の富本を含む多くの工芸作家たちは、写生を行うだけでなく、伝統的な幾何学文や有職文などの古典を参照することで、模様が有する豊かな世界を現代において花開かせました。


川勝コレクション 河井寬次郎作品選 河井寬次郎 《鉄打薬切子扁壺(鉄薬切子扁壺)》1940年

 川勝コレクションは、昭和12年(1937)のパリ万国博覧会グランプリ作品を含む、質、量ともに最も充実した河井寬次郎作品のパブリック・コレクションです。
 川勝コレクションが当館に寄贈されたのは、昭和43年(1968)のことです。当館への寄贈にあたっては、部屋一面に並べられた膨大な作品群の中から「お好みのものを何点でも」との川勝の申し出に従って415点が選ばれました。それ以前にすでに寄贈されていた3点と、初期作品が不足しているとのことで後に追加となった7点を加えて、計425点に上ります。このコレクションは、中国陶磁を手本とした初期から、民藝運動に参画後の最晩年にいたるまでの河井の代表的な作品を網羅しており、その仕事の全貌を物語る「年代作品字引」となっています。
 コレクションを形成した故・川勝堅一氏は、髙島屋東京支店の宣伝部長、髙島屋の総支配人、横浜髙島屋専務取締役などを務め、また、商工省工芸審査委員を歴任するなど、工芸デザイン育成にも尽力しました。
 河井と川勝の長年にわたる交友は、大正10年(1921)に髙島屋で開催した河井の第1回創作陶磁展の打ち合わせのために上京した河井を川勝が駅まで迎えに行ったことに始まります。そこでたちまち意気投合したことで、川勝は河井作品の蒐集を始めます。コレクションについて川勝は「これは、川勝だけの好きこのみだけでもなく、時として、河井自らが川勝コレクションのために作り、また、選んだものも数多いのである」と回想し、さらに「河井・川勝二人の友情の結晶」だとも述べています。


須田国太郎の周辺 都鳥英喜《セイヌ河》1919年

 画家であると同時に、生前は美術史家としても知られていた須田国太郎。彼は美学や美術史については、京都帝国大学教授の深田康算という当時の日本では最高の美学者だった師に学びましたが、絵については、関西美術院で都鳥英喜や沢部清五郎にデッサンを学んだのを除けば、ほとんど独学でした。
 しかしヨーロッパ留学中には、同時期に滞欧していた児島虎次郎や中沢弘光、黒田重太郎、川端弥之助、里見勝蔵、川口軌外等と親しく交わり、学ぶところがあったようです。
 帰国後しばらくは生活のため学者として活動していた須田を、画家の道へ誘ったのは、京都在住の画家仲間である田中善之助、太田喜二郎、向井潤吉、神阪松濤等でした。特に神阪松濤の紹介を受け、向井潤吉の協力を得て1932(昭和7)年、東京の銀座にある資生堂ギャラリーで最初の個展を開催したことは、画家としての須田の活動を一気に本格化させました。この個展を見た里見勝蔵、川口軌外の紹介で、須田は独立美術協会の会員に迎えられたのです。
 以後の彼は、同会会員の小林和作や曽宮一念と一緒に展覧会を開催したり、同会の研究所に学んでいた北脇昇や小牧源太郎、今井憲一、安田謙等の若者たちに絵画の理論と技術を教えたり等、画風を異にする多彩な仲間たちとの交友の中で画業を展開することとなりました。
 ここでは、須田の画業をさまざまな形で支えた画家仲間たちの作品を、当館コレクションによりご覧いただきます。


会期 2020年10月8日(木)~12月20日(日)

テーマ 西洋近代美術作品選
パンリアル美術協会解散によせて
なぜ芸術家はフランスを目指すのか?
模様の美
川勝コレクション 河井寬次郎作品選
須田国太郎の周辺
常設屋外彫刻

展示リスト 2020年度 第3回コレクション展 (計151点)(PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前9時30分~午後5時
※ただし金、土曜日は午後8時まで開館(*ただし10月10日(土)を除く)
※いずれも入館は閉館の30分前まで
※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生、18歳未満、65歳以上:無料
※( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
コレクション展無料観覧日 2020年10月10日、11月3日、14日、15日、12月12日、19日
※都合により変更する場合があります。

コレクション展夜間割引 夜間開館日の午後5時以降、コレクション展観覧料の夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円
※午後5時以降に観覧券をご購入、入場されるお客様に割引を実施します。
※観覧券のご購入、入場は閉館の30分前まで。

同時開催: 2020年10月8日~12月20日
キュレトリアル・スタディズ14:須田国太郎 写実と真理の思索

展示リスト 2020年度 第3回コレクション展 (計151点)(PDF)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

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