キュレトリアル・スタディズパンリアルと戦後美術
パンリアルと戦後美術
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- 期間
- 平成20年7月23日(水)~ 9月7日(日)
- 展示作品
- パンリアルと戦後美術 展示目録
I. 没後10年 下村良之介展
没後10年を記念して、はじめて開催の運びとなったこのたびの回顧展では、とりわけ下村良之介の「前衛画家」としての姿勢を中心軸にすえながら、もっともその姿を特徴づけると思われる作品を選び、展覧会を構成しました。そして下村が生涯参画したパンリアル美術協会結成期の状況も紹介し、「日本画」革新の運動について再考する場ともなるでしょう。
下村作者生前には、東京のO美術館(1989年に開催され、大阪にも巡回)と刈谷市美術館(1990年)で、二度にわたるまとまった個展が開かれています。本展には、この両展覧会以後に制作され、最晩年にまでいたる作品から代表作15点を含めるとともに、多岐にわたる個性豊かな活動で知られる下村良之介の全体像にも迫れるよう、版画や陶芸なども加えました。
作者自ら「とにかく我武者羅だった。日本画とか西洋画とかの、ケチなジャンルなど、もとより念頭に置かなかった……ただただ一途に自分の絵を創ろうという願いだけだった」と語る最初期の《作業員さん》(no. 1)から、生涯パンリアル美術協会とともに歩むことになるその第1回展に出品され、デビュー作といって過言ではない《祭》(no. 2)の大作(現在は額装されていますが、本来は「日本画」の二曲一隻の屏風形式でした)。そして、本展覧会でも、以後の下村のイメージを象徴する「鳥」を抽象化し、脱対象化しようとさえ試みた数々の秀作群が続いてゆきます。
1958(昭和33)年には、アメリカのピッツバーグで開催されたカーネギー国際美術展に《沼 B》(no. 23)が招待出品されるほか、毎年の精力的なパンリアル展への制作に加えて、国内外の様々な展覧会にも招かれています。そしてこうした活発な活動は、京都市内の中学校における教員生活のかたわら実現されていたのです。さらに興味深いのは、1964(昭和39)年に京都市立修学院中学校を退職し、より一層制作にも拍車のかかるまさにこの時代、後の下村作品を象徴する「紙粘土」を用いた作品が登場していることでしょう。おそらくこうした新たな画材の開発も、中学校での教員時代に、密かにすすめられていたようです。1958年の上京中学時代には、「抽象」と題する斬新な中学校図工科テキストも作成していました。
1965(昭和40)年、紙粘土を用いた代表作《鳥不動》(no. 40)を生み出した下村は、以後も《鸞翔》(no. 43)をはじめ独特のマチエールによる作品を発表しますが、ここにはパンリアル美術協会が提唱した「革新的」表現が結晶し、もはや日本画・洋画といったジャンルさえ超えた、まったく新たな絵画世界の実現が認められるに違いありません。そして、取り憑かれるように没頭し、まさに自らもいうように「天空を切っ裂いて翔ぶ鳥」のごとく生み出された、《月明を翔く》のシリーズ(no. 68からno. 80、4階会場に陳列)を経て、最晩年にも継続して「紙粘土」による重厚な気分に満ちた作品群が発表され、下村良之介独自のスタイルが築かれてゆきます。
本展覧会では、「創造者 下村良之介」のその画業の全容を紹介いたします。
「没後10年 下村良之介展」
小企画「II. パンリアルと戦後美術」
7月29日(火)から開幕する「没後10年 下村良之介展」では、下村良之介が生涯追求したその「前衛」姿勢を前面に押し出して作品を選定いたしました。そして、亡くなるほぼ10年前に着手された一連の「月明を翔く」シリーズの作品を経て、絶筆《赫日》(no. 95)にいたるまでの最晩年の作品群には、「紙粘土」を用いた下村独自の鮮明な個性が表出されています。コレクション・ギャラリーには、こうした晩年の秀作を集めていますので、8月31日(日)の「下村良之介展」会期閉幕の後も、しばらくその余韻を味わっていただけるでしょう。
そして、その下村良之介が最晩年にいたるまで、自ら参画していたのが、パンリアル美術協会でした。そこでこのコレクション・ギャラリーにおきましても、「下村良之介展」と連動するように、いわば二部構成として、京都市美術館、福井県立美術館のご協力も得て、京都国立近代美術館が所蔵するパンリアル美術協会関連の作家たちの作品を中心にしながら、小企画「パンリアルと戦後美術」を開催いたします。
京都国立近代美術館は、残念ながらまだ広く知られているわけではありませんが、「日本画」のジャンルにおいて、パンリアル関係の作家たちの作品も積極的に収集し、現在では「日本画」作品860余点のうち、100点近い作品を数えるまでにいたっています。今回は、そのなかから山崎隆(1916–2004)、三上 誠(1919–1972)、大野俶嵩(1922–2002)、星野真吾(1923–1997)、野村耕(1927–1991)、不動茂弥(1928—)らの作品のなかから、パンリアル展への出品作を中心に52点を選びました。
ただここで触れておかなければならないのは、「下村良之介展」出品作について、冒頭にも記しましたように「前衛」姿勢の顕著な作品を選んで、さらには「下村良之介展」のサブタイトルを「『日本画』再考への序章」としたこととも関係して、あくまでも「日本画再考」という視点を強調していることであります。それゆえに、パンリアル関係の作品についても、当館において、「日本画」というジャンル区分に含んだものを中心に選び、あらためて「日本画」という表現について「再考」する場としています。
パンリアル美術協会は、1949(昭和24)年に発表された「宣言文」において、いわゆる「日本画壇」という領域をことさら重視し、伝統的な「日本画」表現を枠づけている「膠彩藝術の可能性を擴充し具体化しようと努力する」と明言していました。それは、現代においてしばしば問題とされている「日本画」そのものについて自ら議論するのではなく、あくまでも「日本画」という表現領域にとどまっているという視点は見逃せません。その意味で、パンリアル美術協会は、わが国ではじめて実現された「前衛」運動といって過言ではないでしょう。そのことをも含めて、この小企画「パンリアルと戦後美術」を位置づけてみたいと思うのです。
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