キュレトリアル・スタディズ新制作協会の作家たちと1960年代の京都
新制作協会の作家たちと1960年代の京都
HOME > コレクション・ギャラリー > コレクション・ギャラリー小企画 > 新制作協会の作家たちと1960年代の京都
- 期間
- 平成19年7月20日(金)~ 9月17日(月・祝)
- 展示作品
- 新制作協会の作家たちと1960年代の京都 展示目録
「没後10年 麻田 浩展」が開幕しました。麻田 浩は、その画業の初期から晩年まで、新制作協会に出品を重ねていたことは良く知られています。しかしながら、麻田と関係の深かった京都ゆかりの新制作の作家たちや、1960年代の京都の美術活動などは、これまで紹介される機会もほとんどなかったようです。そして、「麻田 浩展」開催を機に、あらためて麻田 浩と親交のあった作家たちとの、様々の影響関係を再考することも大切ではないかと考えます。そこで、今回のコレクション・ギャラリーでは、当時の活動に焦点をあて、麻田 浩の知られざる創作の源泉をも探る小企画といたしました。
このたびの「麻田 浩展」は、はじめて麻田の生涯の全容をふりかえることができるよう、画家として活動しはじめる以前の最初期の習作から、当館が開館して3年目に開いた「現代美術の動向 絵画と彫塑」(1965年)に出品された、アンフォルメルの影響を受けた非具象作品、そしてシュルレアリスムからの影響を経て渡欧し、麻田の代表作ともなる「原風景」をはじめ、よく知られた「心象風景」にいたるまで、その全容をたどる内容となっています。
なかでも今回の「麻田 浩展」で、「第1章 知られざる初期作品 1953-1971」として構成に組み入れた作品群は、当時出品された展覧会以来はじめて公開されるものであり、文字どおり画家・麻田 浩の背後に潜む、興味深い側面をまざまざと示してくれています。そして、それが同時に、知られざるもうひとつの「関西の1960年代」をふりかえる手がかりをも提供してくれる意味で、実に貴重な作例だといって過言ではありません。
そこで、今回のコレクション・ギャラリーの小企画では、当館の所蔵品のみならず、国立国際美術館、福井県立美術館、星野画廊、そして麻田 浩と親交の深かった渡辺恂三氏や森本岩雄氏のご協力も得て、ささやかながらも、京都における新制作協会と京都の1960年代の動向を回顧する場といたしました。
周知のように、麻田 浩は最初、当時の京都における数少ない新制作協会のメンバーであった桑田道夫(1916-2002)に師事します。桑田は、同志社中学を出たのち、京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)に学び、油彩のみならずアスファルトをも用いた表現で、新制作協会の気鋭として活動していました。さらに、麻田自身も語っているように、麻田より1歳年上の森本岩雄氏からの影響も強く、フランス滞在中のみならず、生涯にわたって麻田は森本岩雄氏と交流しました。麻田が京都市立芸術大学に教授として赴任するのも、同氏の推薦があったといいます。また、麻田がパリ滞在時に、もっとも親交深かったのが渡辺恂三氏で、パリでは、今回の「麻田 浩展」でも講演いただく粟津則雄氏とともに、ロマネスクの遺跡など、3人でドライブしながら旅したようです。今回出品された、渡辺氏の新制作展出品の《ユダ(の死)》(1956年)を麻田が見て、渡辺氏との交遊がはじまりました。
ところで、森本岩雄は関根勢之助や宮永理吉らとともに、1960年に京都で、「ZEROの会」を結成し、まさに「0」からの出発として、果敢に表現世界を模索してゆきます。森本氏がはじめて平面作品に陶土を用い、それが紙粘土など、いわゆるミクストメディアへの新たなマチエールの開発につながり、麻田は直接には、この「ZEROの会」に参加はしていませんが、そうした技法から大きな影響を受け、初期に見られる前衛作品の制作へとつがってゆきました。後年、「もの派」ならぬ「壁派」という言葉で、こうした京都におけるアンフォルメルの活動が名づけられていたようです。
また、京都における新制作という視点から、石原 薫(1928-1980)と麻田 浩の結びつきも見逃せません。ひょっとして、麻田がアンフォルメル以後、シュルレアリスムへと作風を移行させ、ときに性的な描写さえも試みているのは、この石原からの影響が指摘できるかもしれません。石原はその作品のみならず、個性の強い性格の持ち主でもあり、新制作協会のなかでも異端的な存在でした。しかも、関西における新制作協会の中心は、何と言っても、当時その指導的役割を果たしていた小磯良平の地元、神戸にありました。そのような環境のなかで、麻田 浩と石原 薫は京都という地において、相互に共鳴しあう特異な表現世界を追求していたのではないでしょうか。
これまで1960年代の関西の美術は、何と言っても、世界的な評価さえ得ている「具体美術協会」を中心に語られてきた感が強いように思われます。今回の「麻田 浩展」の開催は、むしろその背後に隠れ、あまり知られることのなかった「京都」を中心とした活動にも眼を向ける機会をも与えてくれます。それはまた、1963年に開館した当館の原点を見つめ直すことにもつながるはずです。その意味でも、このたびの小企画はささやかな試みではありますが、1960年代の関西の現代美術動向を再考する好機であり、今後新たにこの時代を回顧する展覧会企画への序章ともなるでしょう。
また同時に、今回の小企画では、京都の1960年代という時代を、より広く知っていただくため、同時代に制作された日本画作品もとりあげ、日本画の領域でも、パンリアル協会をはじめ、前衛的な傾向が認められることもあらためて紹介しています。
このページの先頭へ