キュレトリアル・スタディズ視て、考えて・・・、私が見つける美術のセカイⅡ-
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この機会に、応募いただいた方たちの、作品の視方や愉しみ方をほかの鑑賞者のみなさまにもお伝えすることができればと思い、それぞれの作品への思いを紹介いたします。
希望作品:ピエト・モンドリアン《コンポジション》(1916頃)/《コンポジション》(1929)
今、私はモンドリアンの作品、芸術活動を次のように考えています。彼の作品は、具象を100%否定するのではなく、むしろ物事の本質を捉えるものとしての抽象絵画のはじまりとして成立しているもので、その結果、モンドリアンの中で問題になるのはコンポジション(水平線と垂直線の関係)であり、この水平線と垂直線の関係こそが(20世紀の)人間の2つのバランス(自分の内面と外の現実の世界とのバランス)を象徴する、最も考察を必要とするものであり、これがモンドリアンの作品の軸になっていると考えます。では今回作品を鑑賞して、何を感じ、また考えたいかというと、今まで述べてきたことは、多くの人が述べている歴史的事実であり、私もほぼそれに従って考えているわけですが、それは自分が感じたことではないとも言えるようにも思います。今回作品を見て、このモンドリアン《コンポジション》が、どのようなパワーを持ち、抽象絵画のはじまりとして、世界にどのような影響を与えたのか、自分で感じ、考えてみたいと思います。
かんたんそうに見えてむずかしそうだったから。
(六原小学校5年生)
めいろのようにおもしろそうです。
(六原小学校1年生)
どうなっているのか不思議なのでみてみたい。
(六原小学校1年生)
希望作品:パブロ・ピカソ《静物:パレット・燭台・ミノタウロスの頭部》
いろんなところがみたいから。
(六原小学校1年生)
希望作品:ハーヴィ・K・リトルトン《放物線のフォーム》
ガラスを引き曲げて作られたとかいてあって、どういう感じなのか本物を見たかったから。外からの光で色が変化するというのに興味を持ったから。
(六原小学校5年生)
希望作品:ハンナ・ヘッヒ《日本の夏》
日本の夏に関するさまざまなイメージがたった1枚の画面にえがいてあるのですごいなあと思ったから。
(六原小学校5年生)
希望作品:柳原義達《靴下をはく女》
4階の常設展のフロア、階段から見て向かって左奥の部屋の左壁に、1mほどくぼんでいる場所があると思います。かなり昔のことですが、そこにいすに座った女の子の像が展示してありました。最初は「ああ、女の子の像ね」と通り過ぎるだけだったのですが、彼女はいつもそこに座っているので、いつの間にか「あ、またいる」と思うようになり、そのうちに彼女に会うのを楽しみに常設展を見に行くようになってきました。その頃は日曜日によく美術展を観に行っていたので、「明日はお休みで誰もいないけれど、あなたはここにいるのね。淋しくないのかな?一人のほうが落ち着くかな?」と思ったり、晴れの日は自然光など入らないはずの展示室なのに彼女が柔らかな光を浴びているように感じたり、暑い日は「京都は暑いでしょ、ここ、壁に近いから特に暑いよね」と心の中で話しかけたりしていました。そのうちに彼女はいなくなって別の展示が置かれ、そして最近、知る限りではそのスペースはずっと閉ざされたままになっているようです。可能であるならば、もう一度彼女と同じ場所で会ってみたいと思います。
(大阪市在住 松本純さん)
希望作品:中野弘彦《ある晩秋の日》
自分が絵を続けようと思った作品です。ジャンルは違いますが、憧れの人でもありました。この作品を視た当時、まだ京都にきて日も浅く美術を始めたばかりでした。この作品は忘れることのできない絵となりました。特に構図。とてつもない深さを感じたのです。自分とまっすぐ向き合ってらっしゃるところに共感しています。自分がスランプであるとき、大変だなと感じるときに眺めて考えたいですね。初心忘れるべからずといいますが、そんな思いです。これからも絵にまっすぐでありたいですね。
(京都市在住 鈴木勝成さん)
希望作品:マルセル・デュシャン《自転車の車輪》
デュシャンはジョルジョ・シャルボニエによるインタビューでこのように言っています。
「私の家のアトリエに、1913年に、自転車の車輪がありました。薪の火のことを考えました。それでこんなことを思いついたのです。この車輪を回すと、それだけである動きを思い起こさせるんです。つまり火の、薪の火の動きですよ。薪の火の心地よさとは何でしょうか。それは、暖炉の火のあの動きですね。そして私は、これら二つを比較しました。私の精神の中でのことです(こうしたことはすべて、私の精神の中で起きていたのですから)。それで私は考えました。私には暖炉がなかったので、暖炉の代わりに回る車輪を置こうと。」(「デュシャンとの対話」p.67)
デュシャンが体験した、精神の中に生ずる薪の火の心地よさ。もし回しながらの鑑賞が可能ならば(作品を扱える方の手によって、で構いません)、私も回る車輪によってこれを体験したいのです。私にも暖炉がないもので…
(京都市在住 はが美智子さん)
希望作品:楠部彌弌《彩エン「清晨」花瓶》
きれいだからみてみたいです。
六原小学校1年生)
希望作品:富本憲吉《色絵金彩羊歯模様大飾壺》
がらがきれいだから見てみたい。
(六原小学校1年生)
希望作品:土田麦僊《舞妓林泉 大下図》、《大原女》
中学校の美術の授業で教科書に載っている絵画を1点模写するように担当の先生に言われ、模写したのが土田麦僊の《舞妓林泉》でした。色使いと構図の美しさに魅せられたのです。模写絵の作業は他の人の数倍時間がかかり、難航を極めましたが何とか無事完成しました。その絵は25年経った今でも大事に私の部屋に飾ってあります。大人になってから、《舞妓林泉》のことを思い出し、東京国立近代美術館を訪ねました。その時の感激はいまだに忘れることができません。それはまるで長い間ずっと会いたかった恋人に苦労してやっと会えたかのようでした。その後、私の麦僊行脚の旅が始まりました。麦僊の作品があることが分かれば、どこにでも飛んで行きました。麦僊の作品に接すれば接するほど、彼の生き方に共感し、生きる勇気と希望が湧いてくるのです。麦僊の絵を鑑賞することは、私にとって「趣味」というレベルをはるかに超えておりライフワークそのものなのです。
(大阪市在住 西田康二さん)
希望作品:冨田溪仙《万葉春秋》
何枚もあってきれいだから。
(六原小学校2年生)
希望作品:山崎直秀《Drawing Photography 8802》
本物の写真のように上手だから。
(六原小学校4年生)
作品が水にうつった感じがよく分かったからです。すごくふしぎな感じがしました。ほんものはもっとすごいんだろうと思いました。
(六原小学校5年生)
希望作品:須田国太郎《鵜》
休む鵜が影になり光り輝いている家があるから。絵の前に太陽があるように感じた。
(六原小学校5年生)
希望作品:クシュトフ・ウディチコ《ポリスカー(本体)》他
私たちはこれから卒業制作を行うにあたって、アートとは何か、アート作品を展示することに、私たちは何を教わるのか、視て、考えたい。
(京都市在住 吉永太一さん、川村康徳さん)
希望作品:鏑木清方《たけくらべの美登里》他
私は、現在、鏑木清方をテーマに修士論文を書いています。清方の「たけくらべの美登利」は、数多い美人画作品の中でも樋口一葉文学に傾倒し描いたものです。「たけくらべ」の主人公美登利を描いた作品として清方の描く美人画とモデルの関係性を考察する上で重要な作品であると考えます。他に美登利が登場する「一葉女史の墓」があり、小説の中の架空の人物を作家自身の感性で具体化し描きだしています。しかし、この美登利にも実在の人物モデル「清方の友人山岸の戀女房りう女」がいます。清方のモデルは妻の照を始め、娘の泰子、「築地明石町」の江木まさ子など身近な存在から、弟子、友人に至るまで幅広く描いています。
私は、絵画に於いて対象となるモチーフは、具象として大きく風景と人物に分けられると考えます。風景画は画家の心象風景と空間の印象を捉え創造していきます。一方、人物画はモデルとなる実在または想像の人間を対象に捉えます。特に風景では無く対象が人間となる事で画家と対象の関係性はより複雑に介在してくるはずです。稀代の美人画家として「西の上村松園、東の鏑木清方」と称されている清方は、楚々として清らかな女性美を描き、近代美人画の発展に多きく貢献しました。清方独自の技法と女性観を従来の枠組みと比較検証し、異なる視点から読み解く事で美人画に組み込まれた作家とモデルの関係性を明らかにしたいと考えています。
(京都市在住 山﨑勝志さん)
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