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コレクション展

2023年度 第1回コレクション展

2023.04.21 fri. - 07.09 sun.

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西洋近代美術作品選 クルト・シュヴィッタース《無題(羊毛玉のある絵画)》1942/45年

 当館は、今から60年前の1963年4月27日に国立近代美術館京都分館として開館しました(1967年に京都国立近代美術館として独立)。現在15,000点余りにのぼる収蔵作品のうち西洋近代美術が占める割合は大きくありません。しかし、日本において近代美術が展開していく過程で密接な影響関係にあった芸術動向を中心に、貴重な作品群を収集してきました。中でも、芸術をめぐる既成の秩序や常識を転覆させてその意味を問い直し、20世紀における新たな表現の地平を切り開いた芸術思想・運動「ダダ(DADA)」に関連する作品・資料を数多く所蔵しています。今回は、その中からシュヴィッタースとエルンストの作品をご紹介します。
 ダダ運動の当初の拠点はチューリヒでしたが、同様の活動はヨーロッパの他都市でもほぼ同時多発的に展開しました。ハノーファ-・ダダを代表する作家で、絵画や建築、デザインさらには詩の分野でも制作を行ったクルト・シュヴィッタース(1887 – 1948)は、街中で拾い集めた廃材や紙片、切符などの断片を、アッサンブラージュやコラージュによって再構成した「メルツ芸術」で知られています。その背景には、第一次世界大戦を経験した彼の、「瓦礫の廃墟から新しい世界を建設することが重要だ」という思いがありました。その思いは、ナチス・ドイツによる政権掌握後にノルウェーを経て英国に亡命し、困難な状況の中で制作された本作品にも通底しています。
 ケルン・ダダに参加したマックス・エルンスト(1891 – 1976)も、絵画のみならず版画や彫刻、文学といった幅広い分野で活躍しました。当初より夢幻的傾向を持っていた彼の作品は、パリへの移住を機にダダからシュルレアリスムへと展開し、凹凸のある素材に紙をあて、鉛筆などを用いて質感をこすりだすフロッタージュ、カンヴァスの絵具をパレットナイフで削り出すグラッタージュといった独自の技法を生み出しました。しかし今回展示している二作品に特徴的なのは、画面に描かれた異形のフィギュアたちでしょう。なかでも「ロプロプ」と呼ばれる鳥人間のようなフィギュアは、画家の代理のごとくイメージの世界と現実を媒介する存在として、他の多くの作品にもその姿を現しています。両作品の収蔵時期は異なりますが、ともにシュルレアリスム芸術の優れたコレクションで世界的に著名であったベルギーのウルヴァーター(Urvater)男爵夫妻の旧蔵品です。


生誕100年 下村良之介/星野眞吾 下村良之介《響風》1992年 星野眞吾《決議》1957年

 本年は下村良之介(1923 - 1998)と星野眞吾(1923 - 1997)の生誕100年の年に当たります。また、下村は当館が国立近代美術館京都分館と称した時代に開催した1963年の「現代絵画の動向」展や1964年の「現代美術の動向―絵画と彫塑展」にも出品しており、3階で開催の企画展とも関連する作家です。
 下村の父は大倉流の大鼓方であり、下村は能楽の囃子方の子として大阪で生まれました。本名は良之助ですが、雅号として「良之介」を使用しています。下村の作品には比較的早い時期から鳥がモチーフとして登場します。本人の記憶によれば、パンリアル美術協会結成後5年目頃にモチーフを鳥に絞ったとしており、1973年にアフリカへ行ってからはハゲコウを気に入って描きました。しかし、1969年の京都国立近代美術館ニュース『視る』11月号に寄稿された下村の文章によると、「鳥を作品にしだしてから今日まで鳥そのものを写生したことはない」と述べており、「元来絵はつくりもの」とする考えがその根底にあるようです。
 星野は、書画に嗜みのある両親のもと、愛知県豊橋市で生まれました。13歳頃から小学校の教諭に画材を借りて油彩画を描くようになり、19歳で京都に出て専門的に美術を学んで独自の表現を模索しました。1964年の父の死をきっかけに、星野の表現は新たな展開を迎えます。父の火葬をのぞき窓から見ていた星野は、棺の側板が倒れて足裏があらわになる瞬間を目にしました。その強烈な印象から父の痕跡を残そうと「喪中の作品」シリーズを制作しました。この表現を一歩前に進めたのが人拓です。人拓はビニール系の糊を身体に塗り、和紙を押し当てて取った人型に岩絵具を撒くという技法です。星野の作品には亡くなった者たちへの想いが反映されており、またそこには戦災の凄惨な光景も重ねられていますが、人拓はそれらをより直接的に伝える効果を発揮しています。
 下村も星野も京都市立絵画専門学校日本画科で学び、因習的な日本画からの脱却を目指したパンリアル美術協会の創立会員でもありました。下村は終生パンリアル美術協会に所属し、星野は1977年に脱退するまで約30年所属するなど、創立会員として長きに渡って関わり続けました。
 次回のコレクション展日本画コーナーではパンリアルの前身ともいえる歴程美術協会をご紹介する予定です。下村や星野はどういった時代の延長線上に位置しているのでしょうか。次回をお楽しみに。


芸術とは何かを考えさせる、ふたつの問題作─赤瀬川原平《模型千円札》とマルセル・デュシャン《泉》

 「現代美術の動向」展が開催されていた1960年代、国内ではひとつの作品をめぐって大論争が起きていました。赤瀬川原平の通称《模型千円札》です。
 赤瀬川原平は1963年に中西夏之、高松次郎とともに前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」を結成し、都市や路上でのパフォーマンス等を通じて芸術表現の日常生活への直接的な介入を模索しました。赤瀬川は1963年2月の個展開催の際、裏面に千円札を原寸大で印刷した案内状を現金書留封筒に入れて関係者に送付しました。印刷所に製作させた千円札をモチーフとする一連の作品をめぐって、赤瀬川は通貨及証券模造取締法違反の罪で逮捕・起訴されてしまいます。1966年から70年にかけて行われた「千円札裁判」では、美術評論家やアーティストが法廷を舞台に大論争を展開し、皮肉にも実社会と切り離された芸術性を訴えることとなりました。今回は、紙幣をモチーフとした作品を収集した個人所蔵家・利岡誠夫氏のコレクションをまとめて紹介しています。
 一方、1910年代ニューヨーク・ダダの騎手マルセル・デュシャンのレディメイド作品《泉》は、1964年にミラノの画商アルトゥーロ・シュワルツの提案によって、《自転車の車輪》など他のレディメイド作品とともに再制作が行われました。国内でも1960年代の「反芸術」のムーヴメントの中で、「芸術とは何か」という議論の際に、デュシャンは参照項として再び注目されます。評論家・アーティストそれぞれの多様なデュシャン理解が、1960年代の美術動向を方向づけていったのです。


特集:北大路魯山人 北大路魯山人《絵織部長板鉢》1949年

 1963年に開館した京都国立近代美術館。この記念すべき開館の年に私たちは「北大路魯山人の芸術」展を開催いたしました。1883年に京都の上賀茂に生まれた魯山人は、書、篆刻から陶芸、漆芸、絵画、料理にいたるまで幅広い活動を展開した近代日本美術界における巨匠の一人です。ここでは開館60周年記念展「Re: スタートライン 1963-1970/2023」の開催にあわせて、60年前の当館の開館時に思いをはせていただくために陶磁器を中心とした北大路魯山人の特集展示を行います。なお、当館は35件の魯山人作品をコレクションしていますが、28件までが開館に際して当館の所蔵となっています。
 魯山人は、多分野において活躍しましたが自ら述べているようにそのほとんどが独学によるものです。しかし、その視線の先には優れた古典があり、魯山人は自らが学ぶべき手本として無数の参考品、美術品を収集していました。当初、魯山人が惹かれたのは中国美術でしたが、朝鮮美術、そして日本美術へと意識の矛先を変えていきます。そこには「茶」の美学が流れており、日本的な世界観をどのように表現するのかという命題がありました。特に昭和初期より始まる桃山茶陶の発掘ブームにおいて魯山人は中心的な役割を果たしており、織部や志野、黄瀬戸、備前、信楽、伊賀、瀬戸など、多彩かつ膨大な量の「桃山復興」と称される陶磁器を制作しました。魯山人の陶磁器は料理の器として作られたものがほとんどであり、料理が盛り付けられて完成するものです。そのために陶磁器単体で鑑賞するには物足りない作品も時にはありますが、それは魯山人ならではの料理との関係性が考慮されたうえでの造形であるといえます。魯山人の陶磁器制作を支えたのは日本各地の窯場から引き抜いた多くの優秀な職人たちでした。しかし魯山人が職人たちの手掛けたものに少し手を加えると、たちまち魯山人の個性が作品に宿ったというエピソードも伝えられています。魯山人は窯が焚けなくなった戦時中に漆器を手がけていますが、職人の精緻、緻密な技術とは異なるおおらかさが作品の魅力を引き立てています。


1963年作の工芸 高村豊周《蝋型朧銀筒形花生》1963年

 開館記念展として「現代絵画の動向」展と併せて開催されたのは、金重陶陽や岡部嶺男の作品が出品された「現代日本陶芸の展望」展です。
 京都国立近代美術館の初代館長・今泉篤男は、60年前に「現在の工芸界には、厳密な意味での批評というものがない」と記しています*。ここで「厳密な」と言っているのは、主張を異にするグループの習慣の違いによって、賞賛も非難も「工芸界全体の批評にはならない」ことを指していました。「現代日本陶芸の展望」展では、小山富士夫が当時の日本の状況について、日展、新匠会、国展、走泥社、日本工芸会、無所属の作家たちなどを分類して概観する一方で、古陶磁や海外作家の作品も併せて出品されています。今泉は、前述の文章を「京都の近代美術館が現代工芸を扱う場合には、やはりそれも一種の批評活動だと私は思っている」と結んでおり、展覧会という方法で、立場の違う作家や、異なる時代や地域の作品を一緒に展示することで「工芸界全体」を俯瞰する批評の場を作ろうとしたのかもしれません。こうした姿勢はその後、京都国立近代美術館の展覧会と収集の基本的なスタンスとなっていきます。 開館の翌年開催された「現代日本の工芸」展では、高村豊周や六代清水六兵衞、志村ふくみの作品が出品され、コレクションに加わりました。開館3年目頃には、河井寬次郎作品の一括の寄贈の申し出をいただき、1968年の展覧会で「川勝コレクション」としてお披露目されています。
 今回は、こうして形成されてきた工芸コレクションから、開館の年・1963年に制作された作品を展示いたします。

*今泉篤男「現代工芸の批評喪失」『今泉篤男著作集』6、求龍堂、1979年(初出は1963年6月14日)。


麻田浩の「現代美術の動向」後 麻田浩《原風景「重い旅」》1974年

 60年前に開館した京都国立近代美術館における初期の展覧会シリーズ「現代美術の動向」。その出品者として選抜された作家たちの中に、麻田浩(1931-1997)がいました。
 麻田浩は京都の生まれ。父の麻田辨自(1899-1984)も兄の麻田鷹司(1928-1987)も日本画家です。父からは芸術の道の険しさを理由に画家にはならないように言いつけられていたそうですが、表現への意欲は止みがたく、会社勤めをしながら絵画制作を始めました。最初は、風景や物体を抽象化したイメージを描き、やがて1940-50年代に世界を席巻したフランス発のアンフォルメル(非定形)を意識した表現を試みるようになりました。1965年、第4回「現代美術の動向」へ出品した《作品C》などもそうした傾向の作品です。彼は流行に同調すること自体には抵抗を感じながらも、そこに自身の絵の道を開くための課題を見出していたのです。
 父からも、画家の道へ進むことを応援されるようになり、1963年、父と兄とともに渡欧した彼は、西洋絵画の古典、特に北方ルネサンス絵画に心惹かれました。古典への関心は制作にも反映され、それがシュルレアリスム風の、イメージの連想ゲームのような独自の表現を生み出すことにもなりました。1971年からは再び渡欧し、パリで生活しながら「土の風景」「地表風景」を描き、「原風景」とも「世界風景」とも呼ばれる壮大なイメージを探求することになりましたが、そうした展開への転換点となったのが1965年でした。「現代美術の動向」への参加の年は、図らずも彼の画業における重要な飛躍の出発点と重なったのです。
 ここでは、彼の画業における「現代美術の動向」後の、そして1981年に終わるパリ時代までの作品をご覧いただきます。


所蔵品にみる「現代美術の動向」展

 現在開催中の「Re: スタートライン」展にあわせて、ここでは当館コレクションの中から「現代美術の動向」展出品作家の作品を紹介します。
 3階の企画展をご覧になった鑑賞者の方にとっては、展覧会の冒頭に再び戻ったような感覚になるかもしれません。実際、このコーナーは主に1963年から1965年の「動向」展の出品作家による絵画作品で構成されています。
 1954年に具体美術協会を結成し、リーダーとして牽引した吉原治良は、1963年の第1回展・第2回展に出品しただけでなく、1964年展の出品候補作家の推薦者という立場でも展覧会に関わっていました。「動向」展の出品作家には、白髪一雄、村上三郎、元永定正、田中敦子、正延正俊、ヨシダミノル、高崎元尚、松谷武判、今井祝雄など、多くの「具体」関係の作家が名を連ねています。また1920年代から前衛芸術への道を進んだ斎藤義重は、1964年から多摩美術大学で教鞭をとり、1969年展・1970年展へ出品した李禹煥や関根伸夫、吉田克朗、菅木志雄など、いわゆる「もの派」の作家たちを輩出しました。そのほか1950年代から画壇で活躍していた難波田龍起、堂本尚郎、麻田浩、吉仲太造、日本画科出身でケラ美術協会の一員として活動した野村久之、抽象表現を模索するグループ「鉄鶏会」に参加した宮本浩二、ワッペンをモチーフにした作品で注目された磯辺行久、今なお精力的に陶芸作品を制作し続けている三島喜美代の初期絵画など、スペースの都合で企画展に含むことのできなかった「動向」展の出品作および類例作をご覧いただきます。


会期 2023年4月21日(金)~7月9日(日)

テーマ 西洋近代美術作品選
生誕100年 下村良之介/星野眞吾
芸術とは何かを考えさせる、ふたつの問題作─赤瀬川原平《模型千円札》とマルセル・デュシャン《泉》
特集:北大路魯山人
1963年作の工芸
麻田浩の「現代美術の動向」後
所蔵品にみる「現代美術の動向」展
常設屋外彫刻

展示リスト 2023年度 第1回コレクション展(計142点)(PDF形式)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

開館時間 午前10時~午後6時
*金曜日は午後8時まで開館(4月21日と7月7日を除く)
*入館は閉館の30分前まで
*新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開館時間は変更となる場合があります。来館前に最新情報をご確認ください。

観覧料 一般 :430円(220円)
大学生:130円(70円)
高校生以下、18歳未満、65歳以上:無料
*( )内は20名以上の団体
国立美術館キャンパスメンバーズは、学生証または職員証の提示により、無料でご観覧いただけます。
*チケットは日時予約制ではございません。当館の券売窓口でもご購入いただけます。

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夜間割引 夜間開館日(金曜日)の午後6時以降、夜間割引を実施します。
一般 :430円 → 220円
大学生:130円 → 70円

コレクション展無料観覧日 4月22日(土)、5月18日(木)、7月8日(土)
*都合により変更する場合がございます。

展示リスト 2023年度 第1回コレクション展(計142点)(PDF形式)

音声ガイド 音声ガイドアプリご利用方法(PDF形式)

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