夜の戦闘服・お水スーツ

地方出張に行った夜、ひとりビジネスホテルの狭い部屋で飲む気にもなれず、地元のスナックのドアを、おそるおそる開けてみる。それなりに歳をとって、どんな高級料理店だろうが怖じ気づいたりはしないが、知らない町の、知らないスナックのドアを開ける瞬間は、いまだに緊張してしまう。

スナックに欠かせないものはまず第一にママさん、お酒、カラオケマシン、それに「お水スーツ」だ。グンと張り出した肩パッド、ダブルのボタンをきゅっと絞ったウェストライン、胸から覗くレースのビスチェ、そしてもちろんミニスカートにハイヒール・・・・・バブル全盛期のゴルチェやティエリー・ミュグレー、あるいはボディコンの元祖といわれるアザディン・アライヤを思わせる、それは大胆なシェイプであり、大胆な色づかいであり、大胆な女らしさのアピールだ。

ファッション雑誌で見かけるのはコムデギャルソンみたいなハイ・ブランドばかりだし、昼間の街で見かけるのはユニクロや無印良品ばかりだけれど、夜の酒場で見かけるのは全国共通、いまだにお水スーツが圧倒的だ(キャバクラ的な店になればドレスが主流だが)。

それなのにお水スーツを取り上げるファッション・メディアはいまも昔も、ひとつとして存在しない。グルメ雑誌に出てくる夜の酒場は、白髪の渋いバーテンダーがシェイカーを振る老舗バーとか、パリ風のワインバーとか、何十年も続く立ち飲み居酒屋とか、そんなのばかりだけれど、いまだに日本のオトナの9割は、「今夜飲みに行く」といったら、それは「スナックに行く」というのと同義語なはず。それなのにスナックのガイドブックや雑誌の特集がひとつとしてないのと、そのいびつな状況はよく似ている。

服には元来、3つの目的がある。まず第一に寒さや怪我を防いだり、裸体をさらさないための、サバイバルとしての用途。それから自己表現、つまり自分はこういうヒトです!とアピールするために身につける服。そしてもうひとつ、相手に見てもらうために——気分よくなってもらうにしても、脅すにしても——自分ではなく相手のことを考えて着用する衣装。服にはその3種類があるはずだが、いま僕らがメディアを通して「ファッション」として意識するのは、自己表現の手段としての服しかない。まったくその人となりがわからない、無個性なファッション・モデルが着てみせる、ハイ・ファッションのイメージが宿命的に内包する退屈さは、そこに原因があるのだし、「お客さまあっての商売」である夜のサービス業にとって、どんなハイ・ファッションよりもお水スーツが好まれる理由も、そこにある。

スナックで働く子にしても、自分がいちばん好きだからお水スーツを着てる、というのは少ないだろう。お水スーツは自分のためにではなく、お客さん、自分を見てくれる人のために着る制服であって、戦闘服なのだ。

お水スーツってどんなの?という人は、まず映画『極道の妻たち』を借りてきて見てほしい。1986年に第1作が作られ、岩下志麻、十朱幸代、三田佳子、高島礼子と姐さんを替えながら、2005年までに14本が作られたヒット作であり、特に初期の岩下志麻や三田佳子が主演したシリーズでは、バブル絶頂期の、デザイン的にも頂点に達したお水スーツがふんだんに披露されている。

86年の第1弾からスタイリングに関わり、94年まで5本の『極妻』でメインのスタイリストとして制作に参加、「極妻スタイル」を完成させた市原みちよさんによれば、あのコーディネートは夜の店を歩いてリサーチしたのではなく、「想像で作った夜の世界の服」だったという。

実際、かつてクラブやバーと呼ばれる場所でママさんや女の子が着ていたのはまず和服、それかクラシックなスーツやワンピースだった。映画でもお水スーツが登場するのは80年代半ば以降だが、市原さんの記憶でも、「ああいうスタイルの服が出てきたのは、ヴィヴィアン・ウェストウッドやゴルチェが受けてきた、80年代あたまごろからでしょうねえ」という。「そういえばジュリアナ(1994〜94)のお立ち台で踊ってた子たちも、みんなお水っぽいスーツでした」。

ウェストを絞ることで肩を目立たせる(映画ではボタンの位置をつけかえたり、肩パッドを足したりして肩とウェストの対比を強調したという)、スカート丈は短すぎないが、スリットは長く入れ、タイトでヒップラインを強調させ、ハイヒールを履かせる・・・・・・『極妻』が目指したお水スーツは、既製の服に細かく手を加えながら、「夜の世界の服」としてのニュアンスを獲得していった。

「ワンピースやドレスじゃ、ダメなんです」と市原さんは言う。社長、会長、親分さんが来る場所で着る服だから、色気だけでなく失礼のない服装でなくてはならないし、上着をつければ同伴に連れて行っても恥ずかしくない。「そういう高級クラブをイメージした服装として、始まったんじゃないでしょうか」。色気・知性・礼儀を兼ね備えた、カッチリした中にセクシーさを漂わせる、「よろいの下にドキッ」、みたいなのが『極妻』スタイリストの考えるお水スーツのコンセプトというわけだ。

「当時はファッション・デザインといえばコムデギャルソンみたいな黒一色が全盛だった時代で、世の中がいまみたいにカラフルじゃなかったんです」と市原さん。「いまでは小悪魔アゲハみたいに、一般人とお水の人との境界がなくなっちゃいましたけど、お水スーツというのは、一般とお水の人の着るものがはっきりちがった、最後の時代の産物なのかもしれませんねえ」。僕らがお水スーツに感じる非日常感は、そんなところから生まれるのだろう。

愛媛県南部の主要都市として、宇和島藩の時代から栄えてきた宇和島市。かつては日本一を誇った真珠やハマチ、鯛などの養殖でにぎわい、商店街の裏手には驚くほどの数のスナックが軒を連ねていた。

不況の波が押し寄せ、商店街のシャッターもずいぶん閉まったままになってしまった現在でも、あいかわらず夜毎に絶唱がドアの隙間から漏れてくる、そんなスナックのひとつに<タイガー&ラビット>がある。

ここの山本かすみママには、昔からずいぶんお世話になっていて、宇和島に行くたびに泥酔させてもらっている。60代というお歳が信じられない若々しさとスカート丈を誇示するかすみママは、いつも「これぞ!」と唸りたくなる正調お水スーツを着用していて、そのコレクションの一端を公開してもらうようお願いした。

「あらー、ちょうど冬物をクリーニングに出そうと思ってたとこなんよ、そしたら半年返ってこないけんね」と言われたのを無理やり待ってもらい、「ほんとはあたし、黒が好きやけん」というのを聞き流し、なるべく派手なものをお願いしますと頼んで、持ってきてもらったのがこんな感じ。往年のミュグレーやゴルチェを思わせる先鋭的な肩パッド、絞ったウェストライン、微妙な丈のミニスカート・・・・・・いまではなかなかお目にかかれない、オーセンティックなお水スーツの世界が、こんな場所にしぶとく生き残っていたわけだ。ママ、どこでこういうの買ってるの?と聞いたら、「宇和島の商店街よ!」と、あっさり。

これだけスナックがあるわけだから、働く夜の女性用にスーツやドレスを揃えた洋品店が宇和島にもいくつかあったのだが、「こんなのを売ってたとこは、もうなくなっちゃって、困ってるんよ」とのこと。流行にそれほど左右されない世界とはいえ、補充していくのは大変みたいです。ボタンひとつにしたって、なくなったらもう、取り替えがきかないし。

現在主流のキャバクラ・ドレスが、もともとアメリカのパーティドレスのスタイルを、過激にセクシーに改造することで独特のデザインになっていったように、もとはヨーロッパのハイファッションだったレディース・スーツが、夜のネオンと水割りの香りのなかで変容を重ね、日本独自のお水スーツに育っていったプロセス。それはヨーロッパの優美なスーパーカーとも、アメリカの古き良きマッスルカーともちがう、ドリフト系のハイパワー・スポーツカーが日本で育っていったプロセスと、どこか似ている。クルマのほうはいまや世界中で「ポルシェよりフェラーリより日産シルビアがほしい!なんてキッズが増えているのに、日本のお水ファッションが世界のファッション・シーンに注目される兆候は、いまのところないけれど。

このまま放っておいたら、近い将来絶滅してしまいそうな気もするお水スーツ・デザイン。どこかのファッション研究機関が、手遅れにならないうちに収集してくれないものだろうか。

都築響一(選)《ニッポンの洋服》テキスト完全版