タトゥー/スカリフィケーション

四川省出身、北京でモデル兼スカリフィケーション(皮膚に付けた傷により、体に模様を施す行為)・アーティストとして活動を始めた小愛(シャオ・アイ)は、日本人トライバルタトゥー・アーティストとの出会いから来日、東京に拠点を移して活動中。全身を蛇の肌の文様で覆うことに決めて、いまも黒く塗りつぶすプロセスを続行中だ。すでに両腕は真っ黒になって、年内には全身の「蛇化」が完成予定という。

蛇肌の小愛

インタビュー:吉井忍

小愛(シャオ・アイ)のインスタグラムを見た日、スクロールする指が止まらなかった。モデル兼スカリフィケーション(皮膚に付けた傷により、体に模様を施す行為)・アーティストである彼女は、考え抜いた構図の自撮りのほか、自身が行うピアシングやスカリフィケーションの施術風景、改造人間の友人たちなど見どころ満載の写真を毎日アップ、中国国内に限らず海外にもファンが多い。

なんといってもまず、全身に入った蛇肌のタトゥーが印象的で、これは東京新大久保にあるタトゥースタジオ「アポカリフト」の店主・大島托氏によるもの。大島氏は1995年に旅先のインドでタトゥーに出会ったのをきっかけに、世界各地に残る民族タトゥーを現地に赴いてリサーチしながらプロの彫師として活動している。現代的なタトゥーデザインを取り入れた、黒一色のトライバル・タトゥーとブラックワークが専門。小愛さんの蛇肌タトゥーは、大島氏が肌に直接描く"フリーハンド"で下絵を描いたもので、ボディラインにぴったり沿ったデザインが美しい。

現在は北京を拠点に活動している小愛さん、ご出身地は四川省とのこと。

四川省の内江市(注:成都と重慶の間にある都市、人口420万人)で中学校まで過ごしました。私、小さい頃はすごく太ってて。子どもって残酷でしょ、デブデブって言われて友だちもあまりいませんでした。自己評価が低いと勉強もヤル気も出ませんよね。国語も算数も全然ダメ。授業も付いていけないので、ノートにびっしり落書きをしていました。絵を描くのは昔から好きだったんです。『犬夜叉』(高橋留美子作)がお気に入りでした。

中学に入る頃には背が伸び、自然と体にメリハリが出てくると、俄然モテ始める。友達も増えて楽しく3年間を送った後、医者である父親の影響もあり、成都市にある五年制の高級看護師養成課程に入学。そう、小愛さんの前職はナース(中国語で「護士」)なのだ。

4年間の座学に実習1年間という構成です。医学という分野が合っていたみたいで、1年生の時に人体解剖学で前代未聞の100点満点を取ったんです。自分でもびっくりしたんですけど。外科や病理、薬理などほかの成績も学年トップで、卒業まで奨学金をいただいてました。学内のアート・コンテストで幾米(注:ジミー、1958年生まれの台湾出身イラストレーター)風の絵を描いたのが1位になって、50元(約850円)の賞金をもらったのもいい思い出。その代わりというか、友達はみるみる減っていきました。おしゃれもしてて、そんなに勉強しているように見えないのに成績がいいとなると、裏で先生に付け入っているんじゃないかとか思われたみたい。根も葉もない噂なんですけど。まあ、1クラス65人、全員女の子っていう環境だから。でもこれでけっこう精神が鍛えられました。一人でご飯食べたり映画に行くのが平気になったのは、この頃からですね。

卒業後、晴れて看護師となった小愛さんの就職先は、成都市にある華西婦女児童医院。最初の1年は臨床研修として腎臓内科、手術室、救急科、心療内科や小児科などそれぞれの診療科で実習を重ねる日々が続く。出勤は朝7時、退勤は夜6時。「休憩時間以外はトイレに行く暇もなかった」という忙しさの中、小愛さんは人体とヒトをちょっと変わった方向から見る目を養う。心療内科に並ぶうつ病の患者さんたち、産婦人科で出会った両性具有の赤ん坊、新生児室で毎日採血していた時の赤ん坊の腕の柔らかさ……。「赤ちゃんの弾力ある動脈の感触とか、すごくよく覚えてますね。クセになります。採血はそりゃもう数え切れないぐらいしたので、今でも私、他人の血管を見るだけでだいたいその人の健康状態が分かるんです。」

小愛さんが務めていた華西婦女児童医院は、省都・成都市においてトップレベルの水準を誇る病院で、ここに職を得るのは至難の業。地元では誰もがうらやむ安定した職場だったが、彼女をはここを1年あまりでさらりと辞める。

仕事を始めた頃からジムにハマったんです。毎日最低1回はワークアウトして、週末は1日2回ぐらい体を動かさないと落ち着かないくらい。食事もたんぱく質や野菜を多めにとか、かなり気をつかってました。

折しも中国全土でジムに行くのが流行り始めた時期、ネット上では鍛えた身体の写真をアップし、多くのフォロワーを得るフィットネス界の「網紅 (ワンホン=インフルエンサー)」が続々登場。当時20代に入ったばかりの小愛さんもその波に乗り、健康食品やサプリメントのイメージキャラクターとして活躍し始めた。

体を鍛えつつ、タトゥーモデルとして海外メディアの取材を受けたり、泉鏡花の『外科室』をベースにした日式官能小説風の撮影に参加。微博(ウェイボー、中国版ツイッター)アカウントのフォロワーは数万に達し、オンラインでも人気を博していた彼女だが、「なんか地に足がついていない感じ」がずっとしていたという。

そんな模索の日々にあった2017年、小愛さんは以前から興味のあったスカリフィケーション・アーティストになることを決意。北京に上京し、以前から憧れていた「九吉」氏のスタジオに弟子入りする。

九吉氏は中国におけるボディサスペンションの第一人者として知られる人物。これは体にフックを刺して吊り上げる「身体改造」のひとつで、中国語では「穿孔懸掛」もしくは「人体懸掛」などと呼ばれる。九吉氏はこのほか、点の集合で濃淡を表現する「点刺(ドット)」と呼ばれるタトゥーに長けており、小愛さんも弟子入り当初はひたすらこれを練習したそう。

とにかく点を描きました。大きな紙に左から右まで、グラデーションの境目がわからないようにドットを描いて行く練習を半年ぐらい続けたんです。師匠(九吉氏)が言うには、何も考えなくても自然に手が動くまで練習しろって。これは看護師時代に先輩から受けたアドバイスと全く同じなんです。毎日の仕事、例えば採血とか、とにかく繰り返すことが大事なんだと言われて、当時は訳も分からず聞いていたけれど、今になってその大切さが分かります。

北京で新しい生活を始めた小愛さんに転機が訪れたのは、去年5月、北京市からほど近い河北省廊坊市で開催された中国最大規模のタトゥー・コンベンション「廊坊国際紋身芸術節」でのこと。師匠である九吉氏による招きで同コンベンションを訪れていた「アポカリフト」の大島托氏と出会ったのだ。

以前ネット上で見つけて、気に入って保存していたトライバル・タトゥーの画像があったんですけど、それが実はタクさん(大島托さん)の作品だったと分かったんです。この出会いに運命を感じました。

かねてから爬虫類の肌に魅力を感じていた小愛さん、アートプロジェクト『縄文族』(大島氏とフォトグラファーのケロッピー前田氏が進めているアートプロジェクト、縄文時代の文様を参照したタトゥーを身体に刻むもの)に参加する形で、蛇の肌を全身に施すことを決めた。コンベンション後すぐに北京で太ももに施術、数ヶ月後に来日して大島氏のスタジオで全身に文様を入れている。現在は黒く塗りつぶす過程を進めており、年内には完成する見込みだという。

この蛇肌は本当に気に入っています。それまではずっと、なにをしていても落ち着かないというか、まだ人生の意味を探している途中のような感覚があったんですね。でもこれを入れてから、気持ちと身体がピッタリ合う感じがして、とても生きやすくなりました。最初にタトゥーを入れた頃から感じていたんですが、タトゥーってつまり、儀式のようなものなんです。ひと針ごとに感じる痛みは、つまり自分の人生や乗り越えなければいけないことに向き合うこと。そして、その乗り越えた痛みが、自分を他の存在とは違う、独自のものにしてくれるんです。タトゥーを入れる行為には、ただ自分をきれいに見せたいだけではない、人への尊厳が根底にあると思ってます。きっとタクさんも同じ気持ちでしょう。彼の技術と知識には絶対的な信頼を置いていますし、だからこそ全身をあずけようと思えたんです。

日本では法律上のこととか、批判とか、難しいことがあるのもよく分かってるつもりです。でも、欧米ではタトゥー・アーティストってとてもリスペクトされているし、トランスダーマル・インプラント(皮膚下に台座を埋め込み、その上に装飾を固定すること)や、トレパネーション(頭蓋骨に穴を空ける行為)などの人体改造はアートの中でもかなり進化した、あこがれの領域に属します。中国ではタトゥー自体は確かにかなりメジャーになって、彫師もたくさんいるけど、人体改造の領域はまだまだ未開拓です。私は日本で経験を重ねて、中国でもタトゥーを含めた人体改造の奥深さをみんなに伝えたいんです。

世界が憧れる刺青聖地であるはずの日本が「入れ墨で温泉入っていいのか」なんて議論にあけくれているうちに、身体改造という世界のボディアート最前線は、はるか先を走っている。古代文明のなかで、邪悪な存在から身を守る魔除けとして発達したタトゥーやピアスなどの装身具は、いまや全身を覆うパワフルでスピリチュアルなボディ・デザインとして——すなわち衣服とこころのあいだを結ぶ、からだにもっとも近い衣服として——機能し始めているのだった。

小愛(シャオ・アイ)Instagram

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