第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」実施報告

第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」
第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」
第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」
第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」
第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」
開催日
2017年10月7日(土)14:00~16:00
登壇者
  • 橋本こずえ(兵庫県立美術館学芸員)
  • 岡本裕子(岡山県立美術館主任学芸員)
  • たけうちしんいち、山川秀樹(ミュージアム・アクセス・ビュー)
  • 日野陽子(京都教育大学准教授)【モデレーター】
  • 松山沙樹(京都国立近代美術館特定研究員)【司会】
会場
京都国立近代美術館 1階ロビー
イベント詳細
第1回フォーラム 「感覚×コミュニケーションでひらく、美術鑑賞の新しいかたち」
参加者
65名
配布資料
PDF版、720 KB
モデレーターの日野陽子氏, 撮影:木村明稔(以下すべて) モデレーターの日野陽子氏
撮影:木村明稔(以下すべて)

 2017年10月7日、京都国立近代美術館1階ロビーにおいて、第1回フォーラムを開催した。
  冒頭、モデレーターの日野陽子氏が、美術館における視覚に障害のある方の鑑賞の歴史を振り返りながら、本フォーラムの目的を再確認した。まず、ミュージアムと視覚に障害のある方をつなぐ取り組みは、1980年代頃、まずは「さわる」というアプローチを通して鑑賞の場を提案する支援的な形で始まったこと。また2000年ごろからは、主に触れることのできない作品を対象に、言葉によるコミュニケーションを通して鑑賞に挑戦する団体が生まれ始めたことについて、簡単にその経緯が紹介された。さらに現在は、感覚とコミュニケーションを融合させながら、アートという土俵の上でだれもが対等に気づきを与え合う鑑賞を目指す動きも広がっていると述べた。そのうえで今回のフォーラムでは、先行事例である3つの団体が、長年活動を継続するなかで得たフィードバックを共有し、課題の再発見をおこなうことが確認された。

橋本こずえ氏
橋本こずえ氏

 続いて、発表者から順に事例紹介があった。
 まず橋本こずえ氏から、「28年目の「美術の中のかたち」展―その取り組みと課題」として、兵庫県立美術館の「美術の中のかたち―手で見る造形」展について報告いただいた。同展は、「フォーム・イン・アート―触覚による表現」(1989年)を皮切りに、阪神・淡路大震災が発生した1995年を除いて毎年開催している。橋本氏は、今年の企画「青木千絵展 漆黒の身体」(会期:2017年7月8日~10月15日)を担当した。
 同展が今日まで、画一的にならずに、毎年その方法を模索しながらも緩やかに継続されてきた背景には、特定の担当者を決めずに開催してきたことがあるのではと、橋本氏は語った。毎年、担当となった学芸員が「視覚に障害のある人も、ない人も共に楽しめる展覧会」というテーマに合わせて自ら課題を設定し、作家や美術館スタッフ、ボランティアなど多くの協力者とともに取り組んできた。こうした仕組みのおかげで、美術館全体で企画に取り組んでいるという意識が共有されているということであった。

岡本裕子氏
岡本裕子氏

 続いては岡本裕子氏に、「盲学校とともに歩んだ6年と、そこから生まれた"こと"」と題して、岡山県立美術館と岡山県立盲学校との連携事業の歩みについて報告いただいた。「まずはやってみる」を合言葉に、2011年度から活動を行っている。現在は「対話」と「五感」をキーワードに、開催中の展覧会の内容や生徒の実態に合わせてプログラム内容を改善しながら継続している。この活動のなかで開発された盲学校の生徒向けのプログラムが、"見常"(見ることを常とする)の生徒たち向けとしても定着していった、という事例も紹介された。
 またこの盲学校との連携をきっかけに、誰もが楽しむことができる、ユニバーサルデザインの視点を取り入れた鑑賞空間を構築する試みが始まるなど、美術館運営のあり方にも変化が生まれつつあるという。

たけうちしんいち氏(右)、山川秀樹氏(左)
たけうちしんいち氏(右)、山川秀樹氏(左)

 最後は、「色とりどりの言葉による対話」と題し、ミュージアム・アクセス・ビュー(以下、「ビュー」)の活動について、代表代行のたけうちしんいち氏、スタッフで視覚障害の当事者でもある山川秀樹氏から発表いただいた。
 ビューは、見えない・見えにくい人と見える人とが「言葉」による美術鑑賞を行っている団体である。京都国立近代美術館でも、17年間に渡って鑑賞ツアーを受け入れてきた。鑑賞ツアーでは、見える人が一方的に説明する・教えることよりも、作品の前でたくさんの言葉を紡ぎだし、感じたことを出し合い、作品の話をきっかけにお互いの経験や思いを共有していくことが大事とされる。
 山川氏からは、「自分は色そのものを見た経験が無く、分かりづらいと感じる場面もある。しかし、共有できないことやお互いの違いを認識することが時にとても刺激的で、そうした刺激と共感の両方を楽しめるということがビューの活動の大きな魅力と感じている」との話もあった。

ディスカッションの様子
ディスカッションの様子

 後半のディスカッションでは、印象に残っているエピソードなどにも触れながら、それぞれの取り組みについてより詳しく意見交換をする場となった。終盤では、美術作品にさわるという行為は、基本的には美術館ではタブーとされる傾向が強い。しかし、常識をくつがえすというのが美術作品のもつ役割のひとつであるならば、美術館自身も「これまでの鑑賞の方法を疑ってかかる」ことが大事なのではないか。そうした意見も出され、ディスカッションは締めくくられた。
 また、質疑応答の場面では、会場から「さわる図録」(点などを用いて絵を立体的に表現し、触って楽しむことができる図録)の制作が進むことを期待する声も上がった。今後の京都地域における"新たな美術鑑賞プログラム創造推進"に向け、課題が共有されたとともに、その経験を聞くことで様々な方法への可能性が提示されたと考えている。

(文責:松山沙樹)

<参加者アンケートから(抜粋)>

視覚障害をもちながら美術鑑賞をするというのは、難しいのではと思っていましたが、そうではなくたくさんの工夫やコミュニケーションで「見えない部分」を十分補えると感じました。もっともっとさわれる作品が増えたらいいなと思います。
(30代・女性)

盲学校の子とかかわっているが、今回の事例は自分たちがとりくんできたことは間違っていないということと、これから美術館と学校がどう連携していくのかを改めて感じ、考えさせられる機会となりました。
(40代・女性)

美術鑑賞とは目で見るものだという前提が、自分の中にあったことに気付かされました。触覚・嗅覚など五感を使った鑑賞や、対話をすることで鑑賞するという方法があることを知り、そういった鑑賞方法を自分も体験してみたいと思うと同時に、狭い枠組みにとらわれていたことを反省しました。そうやって無自覚に美術鑑賞の場から視覚障害者を排除するのではなく、全ての人が鑑賞を楽しむ方法を、美術館だけでなく、日常の身近なところでも考えていきたいと思います。
(30代・女性)

視覚以外の感覚を使った鑑賞が、美術鑑賞の方法として一般化していくとよいと思いました。岡山県立美術館で、盲学校の生徒を対象に行われていた取り組みが、いわゆる普通校の生徒対象の取り組みに採り入れられているのは、とても貴重なことだと思います。
(50代・男性・視覚障害者)

以前、盲学校に勤務していました。「障害は不自由ではなく不便なだけ」ということばを印象的に思い出しました。誰でも不便に思うことが多いこの世界、でも便利だけがよいことかと考えてしまいます。
(女性)

「当然」「常識」「自明性」という言葉がキーワードのように出てきましたが、視覚障害者と見える人とが感覚の交流(対話)をすることで、お互いの自明性が変容する、豊かな気づきがある、といった体験が印象的でした。
(30代・女性)