美術館の概要

50年のあゆみ


京都に国立西洋美術館?なぜ「工芸」を。
 当館の開館は、東京に設置された国立近代美術館(現在の東京国立近代美術館)に遅れること約10年半の1963年のことでしたが、実は「京近美前史」ともいうべき10年の経緯があったのをご存知でしょうか。
 それは国立近代美術館が東京に開館した翌年(1953年)に、第二次大戦中の在外資産としてフランスに没収されていた川崎造船所(現川崎重工業株式会社)社長・松方幸次郎が、ヨーロッパで集めたコレクションの、日本への返還問題が具体化されたことに端を発しています。
 しかもフランスから返還される本コレクションは、特別の美術館に保管されることが条件だという意向もあり、松方ゆかりの兵庫県、そして京都市が名乗りを上げました。しかしフランス側は、「首都東京」にこの松方コレクションを擁する美術館の創設が不可欠だと主張し、それが現在の国立西洋美術館となったのです。
 けれども美術館建設を熱望する京都市は、この「松方コレクション誘致の案」を、「国立近代美術館の誘致」へと切り替え、ここに「国立近代美術館京都分館構想」がクローズアップされてくるのでした。東京にあった国立近代美術館も、京都市から提出されたこの「分館構想案」を検討し、1962年に分館設置の法令が施行の運びとなり、京都市も、勧業館別館を国に譲渡し、同敷地の無償供用、施設改修費も負担すると英断して、当館は開館の運びとなったのです。
「北大路魯山人の芸術」展会場1963年
そして京都市は、国立美術館を誘致して、京都の地場産業である陶芸や染織など、産業上の要望として伝統工芸の展示に相当の比重を置いてほしいと要望し、当館はこれにこたえてその後「伝統工芸」のみならず、広くも「工芸」を展望する企画展、さらにはコレクションの充実につとめ、この姿勢を今も継続してきたのです。


「工芸」展とともに「美術展」や「現代美術展」も積極的に開催。
 ひとくちに「工芸」といっても、ただ陶芸や染織ばかりを対象とするのではありません。ガラスやジュエリー、さらには海外の作品にも目を向けて、展覧会やコレクションを充実させてゆきました。
 しかも当館がオープンした時代は、「おんりい・いえすたでい'60s」といわれるように、ちょうど日本の高度成長期にあたり、家具や電気製品、インテリアほか様々な生活品に「デザイン感覚」が芽生えた時代でもありました。
「現代日本の工芸」展会場 1964年 「現代国際陶芸展」会場 1964年
 そこで当館も、「リビングアート」の展覧会やデザイン展、テキスタイルやポスター展をはじめ、「工芸」に対する捉え方も拡張して、ファッションや建築の展覧会まで開いてきたのです。
 同時に、ピカソやゴッホ、モディリアニといった良く知られた近代美術の画家たちだけではなく、土田麦僊や村上華岳といった日本画家、浅井忠や梅原龍三郎など、多数の画家たちの展覧会も開催してきています。そして、開館記念のもうひとつの展覧会が〈現代絵画の動向〉展であったように、現代美術を紹介する展覧会も開いてきたのは、近代美術館として当然の使命でもありました。
今日の造形〈織〉 ヨーロッパと日本」展会場 1976年

1986年秋に、現在の新館が開館しました。
こうした活発な活動を続けながらも、展覧会での出品点数の増加、作品の大型化などによって展示室も手狭になりました。さらに企画展ばかりを開催し続けることで、毎年増え続けるコレクションの紹介と保管もままならず、館活動は限界に達していました。
 そこで、近代美術館にふさわしいモダンな建物、コレクションをいつでも紹介できる常設展会場、レストランやミュージアム・ショップの開設も待ち望まれていたのです。
 そして念願の新館が、槇文彦氏の設計によって竣工したのが1986年の秋でした。
 向かいのいわゆる帝冠様式の市の美術館とは好対照をなす新館は、スマートでモダンなスタイルも鮮明に、岡崎公園でも異色の建物でしたが、現在は平安神宮の大鳥居とも融け込んで、新たな景観を創りだしています。新館の開館記念の展覧会が、新たな日本画動向に切り込んだ〈京都の日本画 1910 - 1930〉でした。
 その後、現在まで続くこの新館での活動は、関西ではじめて登場した近代美術館としての存在感も明確に、開館当初からの「工芸展」の継続や、日本画、洋画、現代美術、写真、デザイン、建築までも視野に収め、展覧会のみならずコレクションの充実に反映されています。また、MoMAK filmsと名づけた映画会や、様々の教育プログラム、さらに友の会活動などを展開して、幅広い層の方々に足を運んでいただけるよう努力しています。

1993年に迎えた開館30周年
「創立30周年記念展 世界の工芸」展 会場 1993年 「現代イギリスの工芸」展会場 1988年
 3月1日は当館の設置の記念日、そして4月27日は開館記念日です。これに合わせて1993年春に、「開館30周年記念展T」として〈世界の工芸−所蔵作品による〉を、「記念展U」として〈近代の美術−所蔵作品による〉を開催し、『30年史』も発行して、それまでに収集したコレクションの代表作を一堂に紹介しました。1996年には、インターネットによるホームページを開設。以後、現在にいたる活動は周知のとおりでしょう。

独立行政法人国立美術館としての新たな歩み
 2001年に、それまで文化庁の機関に属していた当館は、時代の流れとともに独立行政法人として再編され、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、そして現在は国立新美術館も加わって、「独立行政法人国立美術館」となりました。「国立館」としての使命はそのままに、当然のことながら経営努力もより一層強く求められています。これは全国の自治体が運営する公立美術館でも同様に、1970年代から80年代にかけて林立するように建設された美術館は、現在、作品収集費はもちろんのこと、事業経費も縮小されて、展覧会の開催もままならい厳しい状況が押し寄せてきているのも事実です。
 こうした今日の経済事情を反映した文化行政全体にもおよぶその方策のひとつとして、国立美術館の独立行政法人化も位置づけられるでしょう。それでも潤沢とはいえないまでも、限られた予算の中で、作品収集、そして展覧会事業が行えるよう努力し、当館は他館ではなしえない独自の活動を続けています。
 たとえば河井ェ次郎の「川勝コレクション」にはじまり、版画家・長谷川潔の作者自身から譲られたコレクション、近年ではブルーノ・タウトを日本に招へいしたことで知られる建築家・上野伊三郎とその妻で工芸家の上野リチのコレクション、あるいは池田満寿夫や京都の版画家・井田照一のコレクション、さらには竹久夢二の多数の作品・資料を擁する「川西英コレクション」、昨年一括収蔵された青木繁や岸田劉生、富本憲吉、バーナード・リーチらの名品を含んだ「芝川照吉コレクション」など、特色豊かなコレクションの形成にも努めてきました。3月16日から開催される「開館50周年記念展」でも、そうした成果の一端をご紹介いたします。

開館50周年を迎えて
「リチャード・ロング展」1996年 「プレイルーム」2007年
 近代美術館の原点とされるニューヨーク近代美術館が開館したのは、1929年2月のこと。
 それ以後、このニューヨーク近代美術館の活動は、わが国にも強い影響を与えました。わが国ではじめて「近代美術館」が誕生したのは、国立近代美術館開館の前年1951年に開館した神奈川県立近代美術館でした。公立館として2番目の「近代美術館」が、1970年開館の兵庫県立近代美術館(現在の兵庫県立美術館)。そして当館は、それに先だつ1963年に、関西ではじめて「近代美術館」として開館していたのです。
「国画創作協会回顧展」会場 1993年 「日本の前衛 Art into Life 1900-1940」展の三岸好太郎アトリエ再現 1999 年



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