稲垣仲静・稔次郎兄弟展


稲垣仲静《猫》1919年頃
稲垣仲静《猫》1919年頃
個人蔵
     京都市立絵画専門学校在学中に第2回国画創作協会展へ《猫》を出品して画壇の注目を浴び、克明な自然描写の中に官能性や凄みを表現する画家として将来を期待されながら、25歳の若さで亡くなった稲垣仲静(1897–1922)。その仲静の弟で、染色作家として名をなし、昭和37(1962)年型絵染の人間国宝に認定された稲垣稔次郎(1902–1963)。二人の父は日本画家であり、かつまた、工芸図案家でもあった稲垣竹埠(ちくう)で、兄弟が、それぞれの道を継ぐような形となりましたが、その根幹に共通するものは、身の回りの自然を凝視し、形態化しようとする強い意志でした。弟は早逝した兄を終生尊敬し、ことある毎に、「兄貴と二人展をしたい。兄貴には負けへんで。」と言っていたといいます。
     虎のモティーフを愛した稔次郎が生まれてから、実に10回目にあたる寅年となる平成22(2010)年に開催される本展は、その念願を果すもので、兄・仲静の数少ない遺作のうち、現在所在の分かるもの全てと、弟・稔次郎の代表作を集めて展示するものです。そこには、日本画と工芸、とジャンルは違えども、いかにして京都の美術の近代化をすすめるか、言い換えれば、いかにして自己の求める芸術を産み出すか、を模索した姿を見てとることができるに違いありません。


作家紹介


関連イベント
型絵染ワークショップ
2010年6月6日(日) 午後1時半〜5時
講師: 澁谷和子、麻田脩二 (ともに染色家)
先着20名、事前申込制、有料
※詳細: PDF(114KB)

記念講演会「稲垣稔次郎 その人と作品 —典型からリピートへ—」
2010年6月12日(土) 午後2時〜3時30分 (当日午前11時から整理券配布)
京都国立近代美術館 1F 講堂
聴講無料、先着100名
講師: 中井貞次 (京都市立芸術大学名誉教授)

記念講演会「仲静芸術の魅力」
2010年6月13日(日) 午後2時〜3時30分 (当日午前11時から整理券配布)
京都国立近代美術館 1F 講堂
聴講無料、先着100名
講師: 上薗四郎 (笠岡市立竹喬美術館長)

会期
2010年5月18日(火)〜6月27日(日)

会場
京都国立近代美術館 4F
稲垣稔次郎《ねずみ草紙型紙》1955年
稲垣稔次郎《ねずみ草紙型紙》1956年
京都国立近代美術館蔵
※会期中4Fコレクション・ギャラリー(常設展)は開催して
おりませんのでご了承ください。

休館日
毎週月曜日

開館時間
通常の開館時間
午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで)

金曜日の夜間開館日
午前9時30分〜午後8時(入館は午後7時30分まで)


主催
京都国立近代美術館
京都新聞社

協賛
京都中央信用金庫



観覧料
  当日 前売り 団体(20名以上)
一 般 700 600 500
大学生 450 350 250
高校生以下 無料 無料 無料

同時開催: ローマ追想——19世紀写真と旅(5/20〜6/27、於当館3F展示室)
稲垣展、ローマ展両方ご覧になる場合の観覧料金: 一般1000円、大学生500円
※「稲垣仲静・稔次郎兄弟展」「ローマ追想——19世紀写真と旅」の両方の観覧券を同時購入の場合に限ります。



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稲垣仲静
稲垣仲静《猫》1919年頃
稲垣仲静《太夫》1919年頃
京都国立近代美術館蔵
明治30(1897)年京都市内に生まれます。本名広太郎。父は、竹埠と号し、岸竹堂門の日本画家でしたが、精細な草花の描写が気に入られ、漆器や金工品などの工芸図案家として重宝されました。明治45年京都市立美術工芸学校に入学、大正6(1917)年同校卒業後、京都市立絵画専門学校に進学します。一学年上には伊藤柏台、玉城末一、前田荻邨、山口華楊らが、一学年下には岡村宇太郎、堂本印象らが在籍しています。在学中の大正8年第2回国画創作協会展に出品した《猫》が初入選します。卒業後の大正11年福村祥雲堂主宰「九名会」のメンバーに選ばれ、同会展に出品しますが、同年腸疾患のため25歳の若さで亡くなります。


稲垣稔次郎
稲垣稔次郎《木綿地型絵染 野草笹匹田模様着物》1955年
稲垣稔次郎《木綿地型絵染 野草笹匹田模様着物》1955年
京都国立近代美術館蔵
明治35(1902)年京都市内に生まれます。大正5(1916)年京都市立美術工芸学校図案科に入学します。大正11(1922)年同校卒業直前に父が亡くなりますが、長兄がいたため、卒業後、東京三越本店図案部に勤務します。ところが、同年6月に長兄が急逝したため、京都に戻り、松坂屋京都支店図案部に勤務し、捺染友禅の図案を担当するようになります。松坂屋在籍中に、京都内の染色工場を回って染色技法を独学し、昭和6(1931)年染色工芸家として立つべく、同社を退職します。昭和14年第2回新文展落選作を第15回国画会展に出品したところ、国画会賞を受賞。翌年には同人となり、新文展でも特選をとるなど、遅咲きながら、工芸家としての第一歩を踏み出します。同会工芸部の幹部であった富本憲吉とはジャンルは違えども、新しい工芸を生み出す同志として共に行動し、昭和22年富本が国画会から飛び出し新匠美術工芸(現・新匠工芸会)を結成した折も参加、以後、昭和38(1963)年に亡くなるまで同会への出品を続けました。最初、筒描きの糊絵染で制作していた稔次郎でしたが、単純化された形態を組み合わせ、リズムよく反復することによって、多様な自然の諸相を表現できる型絵染で制作を行うようになり、死の前年にはこの分野での人間国宝に認定されました。また、昭和25年から現在の京都市立芸術大学で教鞭を執り、昴註の小合友之助と共に多くの優秀な工芸作家を育てたことも特筆されます。





広報資料
チラシ PDF(5.45MB)

(2010/05/20)



巡回先
笠岡市立竹喬美術館 2010年7月17日(土)〜8月29日(日)
練馬区立美術館   2010年9月15日(水)〜10月24日(日)



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