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展覧会上野伊三郎+リチ コレクション展  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
   I. 上野伊三郎・リチのウィーン

上野伊三郎+リチ コレクション展  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
   I. 上野伊三郎・リチのウィーン


上野伊三郎は、祖父の代まで京都の宮大工であった上野工務店の経営者の長男として生まれました。宮大工の修行を行うも、伝統的な技術の習得には飽きたらず、早稲田大学理工学部建築学科にすすみました。卒業後、1922年から4年間、ベルリンとウィーンに留学し、ベルリンでは構造学を、ウィーンでは振動学を学んだといわれ、ウィーン工房を主宰していたヨーゼフ・ホフマンの建築事務所に勤務します。上野伊三郎のウィーンでの活動は謎に包まれたままですが、1925年にリチと出会い、結婚しました。
上野リチ
リチ
リチはウィーンで、富裕な事業家の長女として生まれました。幼い頃から動物や植物を愛したリチは、やがて念願かなってウィーン工芸学校に入学。同校教授でもあったヨーゼフ・ホフマンの薫陶を受け、さらには幼児・児童の美術教育からも影響を受け、自らの実践にとり込んでいったようです。1917年に24歳で美術学校を卒業して、すぐにウィーン工房に入り、ダゴベルト・ペッヒェやマティルデ・フレーグルらホフマン門下の有能なデザイナーたちに刺戟を受けるように、テキスタイル・陶器・ガラス・七宝図案など幅広いジャンルに新作を発表してゆきます。1920年にクンストシャウ展に出品するほか、パリ万国博覧会にも出品・受賞し、とりわけプリント図案は「リックス文様」とも呼ばれ高い評価を得ました。そして32歳のときに、ホフマンの建築事務所にいた上野伊三郎と結婚したのです。
上野リチ 《壁紙「夏の平原」》 1928年以前 (ザルブラ社 製作)
上野リチ 《壁紙「夏の平原」》 1928年以前 (ザルブラ社 製作)
第I章では、リチが制作した水彩画をはじめ、1920年代のウィーン工房時代に制作されたテキスタイル・デザインの原画、そして「リックス文様」と呼ばれたプリント地の原画や、代表作のひとつでもあるドイツのサラブラ社で製作・販売された、美しい色彩と愛らしい鳥や花があしらわれた壁紙のシリーズなどのほか、復活祭で使用される珍しい砂糖菓子のデザインや装飾品の水彩原画などを紹介いたします。
上野リチのウィーンの感性にあふれた作品をとおして、上野伊三郎も強く惹かれ、生涯変わることのなかったその創作の源泉が探ることができるでしょう。

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