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展覧会投稿 No. 5  橋本真弓

投稿 No. 5  橋本真弓


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橋本真弓

  京都大丸で開催された、宮本三郎記念賞受賞の記念展に出掛けた私は、写真で見たことのある先生のお姿を拝見し、思わずわれを忘れて、不躾にもお声をお掛けしてしまいました。大きな展覧会をはじめて拝見しての感動が、この思いがけない行動をとらせた理由でしたが、私が橋本幸志に教えを受けていると申し上げると、親しみを感じてくださったのか、いやなお顔もなさらずに、インターフェロン治療と体調のことなど、気さくに語って下さり、記念の図録にサインをして下さいました。1987年の二人展でご一緒だった作家につながる者として、遇して下さったことは、思いがけず有難く、紳士的でナイーブな麻田先生のお人柄を知る、うれしい機会となりました。この時すでに、「思うように絵筆を持てないもどかしさ」を語られていたことが切なくて、今でも忘れることができません。
  初期には当時流行の作風なども見られますが、描くことに対する情熱、描くものへのこだわりは、病による体の衰えにも勝って、終生、画家の心中を支配したのだと思います。絶筆の構想ノートを拝見すると、自ら死を選ばれる直前まで、そうした格闘の痕跡が偲ばれるのです。人はなぜ絵を描くのか、絵を描くことの根源、美術の根源が麻田作品に通底しており、現代アートを理解できない一般人にも、そうした絵画作品が「尊く」感じられて支持されるのではないでしょうか。西洋の流儀にそって、常に対立軸の中で語られてきた美術批評、つまりは一般大衆にも理解され支持される既存の絵画は古いと断じ、新しくて既存の絵画でない一般には理解不能なもの、こと、を称揚するという言わば二者択一の支配が、麻田評価を左右してきたと、考えられはしないでしょうか。
  ところで、書き込み中に「世界の三層構造」とありましたが、私は、大地に連なる小さき者どものひとりとして麻田作品に共鳴するとき、読み解くべきはというと、むしろ、滅びゆくこの地球の、未来像の予言となっているのではないかと思います。麻田作品の全貌を眺めて感じられる一貫性は、「大地」の描出にあるのではないかと感じます。作風が時代と共に変遷した初期の作品にも「大地」への意識が見られ、あるいはシャープな語り口、ナイーブな語り口、シュールな語り口など、いかなる切り口からも、たとえば降雨の前に吹く一陣の風、鼻を衝く湿り気を帯びたあの大地の匂い、雨の予感のようなものが、確かに立ち上ってくると思われました。こうした場合、「人は大地と共に在る」ということを、「五感によって感じ取る場」として、麻田の絵画は「機能している」と見ることも可能となります。そもそも、現代アートの装置と絵画を、区別、あるいは差別すること自体に、疑問を生じることになります。
  ともあれ、麻田作品を今、こうした意味において読み解くのなら、言わば未来への警鐘として未来への連続性を確かめられることとなり、麻田浩展の新たな意義をそこに見出すことができるのではないでしょうか。

(2007/08/26 橋本真弓)

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