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展覧会東京藝術大学大学美術館助教授 古田 亮

東京藝術大学大学美術館助教授 古田 亮
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これまでのご投稿 (最新:2007/02/09追加)

研究は、難しい問題への挑戦です。シンプルな問題でもそれを解決しようとしたときに、さらに問題を難しくすることもたびたび起こります。重要なことは、大事な問題を見極め、その問題に対して真剣に向き合うことです。ただし、その問題がちょっとやそっとでは解決できないことに気付いて、難しい概念や用語をひっぱりだして解決したようなふりをすることも無いとはいえません。一般に論文の世界となれば同じ問題を共有する特定の読者を想定しているためにこの傾向は強まるのが必然です。
 ところで展覧会というものは、美術についての何かしらの研究を行う「場」であり得るたいへん魅力的なものです。しかも、展覧会の場合、特定の鑑賞者を想定するのではなく、また特定の研究的問題意識をもつ専門家のためにつくられるものでもありません。むしろ、たまたま見た人たちが、それぞれの関心によって納得したり疑問に思ったりすることを前提として、どれだけ好奇心をかりたてることができるかという「投げかけ」によって成立しているものと思います。
 「投げかけ」である以上、それは発信者側の一方的な結論が用意されているのではつまりません。また、「投げかけ」であることが伝わるように刺激的なものでなければならないのです。
  今回の展覧会「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」も、基本的には以上のような、研究と展覧会に関する考えから企画されました。
  では、ここでいう大事な問題とな何でしょうか。疑問符のかたちで列挙してみましょう。

なぜ、近代日本美術には日本画と洋画の区別があるのだろうか。
日本画と洋画はいつ、なぜ区別されたのだろうか。
日本画と洋画の区別は、何をもたらしたのだろうか。
日本画も洋画も描いた画家は何をもとめたのだろうか。
日本画とも洋画ともつかない「絵」があるのはなぜだろうか。
日本画と洋画のはざまにには何があるのだろうか。

こうした問題を「大事」とは考えない、あるいは考えてこなかったとすれば、私はそのことをじたいが近代美術に関する最大の謎ではないかと考えています。考えなければ「ない」問題ですが、ひとたび考え始めると用意に解決がつくことではないことに気付かされます。
 こうした問題意識に基づいてこの展覧会の作品選定を行うことは、実に研究的な仕事であったと今にして感じるところですが、繰り返しますが、展覧会とはその答えを示す「場」ではなく、疑問を疑問のまま投げかけ、出来るだけ多くの答えを引き出す「場」であるべきであるというのが基本的な考え方です。これまでの展覧会の常識では、それぞれの答えはその心のうちにしまわれて見えなくなってしまうものですが、今回京都国立近代美術館の発案でシンポジウムを目的として研究的関心のある方々のご意見を募ることとなりました。この機会に、私たちの問題意識について、あるいは展覧会の内容や受け取られ方について、是非皆様のご意見をうかがいたいと思っております。東京あるいは京都の会場を御覧頂いた方々の、率直な感想や疑問から、より大きな問題へとつながる鍵が多く見出されることでしょう。この電子メールによる意見交換とシンポジウムとによって、近代日本美術のあり様や歴史について討議できる「場」が新しく切り拓かれることを切に希望しています。
 なお、この度の展覧会意図に関する私なりの考えは、拙著『狩野芳崖・高橋由一』(ミネルヴァ書房、2006年)と本展図録の中の論文に示したつもりですので、ご参照いただければ幸いです。

(2007/01/24 東京藝術大学大学美術館助教授・古田 亮)



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