共催展
   村上華岳展


共催
日本経済新聞社、京都新聞社
協力
何必館・京都現代美術館
会期
平成17年4月12日(火)〜5月22日(日) (37日間)
入場者数
27,457人(一日平均:742人)

     村上華岳(1888-1939)は大阪市内に生まれるが、7歳の時から叔母の婚家がある神戸花隈で育った。小さい頃から画を得意とし、京都市立美術工芸学校、同絵画専門学校に進学、同期の榊原紫峰、土田麦僊、小野竹喬らと共に、円山四条派の流れを学び、浮世絵や南画、さらには西洋絵画を取り入れながら新しい日本画を追求する。やがて作品発表の場である文展の審査に対する不信が募り、大正7年同じ気持ちを抱いていた麦僊、竹喬、紫峰らに誘われて国画創作協会の結成に参加、活躍するが、画壇活動がかえって画家の自由な創作を束縛し、芸術活動を不純なものとするという当初の思いがますます強まり、また、持病の喘息が悪化したこともあって、第5回国展への出品を最後に画壇から離れ、翌昭和2年には神戸花隈に隠棲する。以後、彼の人柄と作品を敬愛する数少ない人々に支えられながら、ひたすら自己の精神的深化を求め、深い精神性と官能性を併せ持つ観音像や六甲の山並、牡丹花などを題材として独自の水墨画の世界に沈潜していった。
     京都にゆかりのある近代日本画家の展覧会を数多く開催している当館では、開館した年である昭和38年、既に一度華岳展を開催している。二回目となる本展は、それから40年以上経って、当時は発見できなかった作品が見つかり、研究も進んだことから、その成果を世に紹介し、華岳の画業を今一度見直すために開いたものである。よって、華岳の代表作を網羅すると共に、これまで世に出ることのなかった新発見の作品や、40年前の展覧会にも出せなかった、久し振りに公開される作品を積極的に展示した。結果、総点数301点(書や資料を含む)となり、二度大きな展示替えを行った。
     なお、本展は当館で開催された後、富山県水墨美術館に巡回した。

(研究員・小倉実子)

パネル他
あいさつ(和・英) 各1
ポートレート 1
略年譜 1
章解説パネル 6
写真パネル 7

カタログ
27.5×22.5cm、324頁
図版 カラー299点 モノクロ2点;参考図版 モノクロ11点
収録論文等
     「村上華岳の生涯」 島田康ェ
     「章解説」 小倉実子
     「落款印章」
     「村上華岳略年譜」「主要文献」 小倉実子編
編集:京都国立近代美術館、日本経済新聞社
発行:日本経済新聞社
デザイン:大向 務、坂本佳子(大向デザイン事務所)

新聞雑誌関係記事
新聞記事
日経 3月19日 「異才の日本画家〈村上華岳展〉過去最大級の回顧展」
京都 4月11日 「官能から沈思 孤高の祈りへ ―村上華岳展―」 太田垣實
京都 4月12日 「孤高の画境たどる 村上華岳展きょう開幕」
日経 4月20日 「宿る生命感、古典と融合 村上華岳展」 宝玉正彦
読売 4月20日 「KODOMO 楽しむ 芥川記者の展覧会へ行こう:生命のリズムに
のせて」 芥川喜好
読売 4月25日 「ひたむきに真の〈仏画かき〉 村上華岳展」 木村未来
京都 4月27日(夕) 「村上華岳展から 祈りの美1 日高河清姫図」 小倉実子
京都 4月27日(夕) 「村上華岳展から 祈りの美2 裸婦図」 小倉実子
京都 4月28日(夕) 「村上華岳展から 祈りの美3 荒原晩照図」 小倉実子
京都 4月30日(夕) 「村上華岳展から 祈りの美4 春泥」 島田康ェ
京都 5月2日(夕) 「村上華岳展から 祈りの美5 太子樹下禅那之図」 島田康ェ
朝日 5月6日 「村上華岳展 求道者思わせる画風」 森本俊司
毎日 5月6日 「〈村上華岳展〉京都で 仏画・山水 孤高の250点紹介」 岸桂子
京都 5月7日 「この世でないもの・神秘・無限 村上華岳に通う近代詩の空気」
高階絵里加
京都 5月7日(夕) 「村上華岳展から 祈りの美6 牡丹(絶筆)」 島田康ェ

雑誌記事
文化庁月報 2月号 「村上華岳展」 小倉実子
ぎおん 182号 「舞妓をめぐる二人の画家」 島田康ェ
趣味の水墨画 5月号 「展覧会のしおり」
京都国立近代美術館
友の会会報 4号
「美心短信 浄土寺付近―二月乃頃」 加藤類子
京都国立近代美術館
友の会会報 4号
「展覧会の見どころ 村上華岳展」 小倉実子
アート・トップ 205号 「偉才(異才)たちの筆遣い ―6・7月の展覧会から―」 野地耕一郎
視る No. 417
(3-4月号)
「村上華岳と“山−六甲山”」 木村重圭
視る No. 418/419
(5-6・7-8月合併号)
「祖父村上華岳と愛好家のことなど」 村上伸


このページの先頭へ