展覧会イサム・ノグチ展
イサム・ノグチ展
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本展は、日本とアメリカを代表する彫刻家イサム・ノグチ(1904-88)の初めての回顧展である。ノグチは詩人で英文学者の日本人の父と、作家で教師のアメリカ人の母との間に生まれた。この“間”に生まれたということ、それはノグチの芸術を考えるうえでの一つの鍵となる概念である。この展覧会では、日本とアメリカ、自然と人工、伝統と新しさ、具象と抽象といった様々なものの“間”で作品を作り続けたイサム・ノグチの初期から晩年に至る足取りが、時代を追って明らかにきれていく。その際彼の作品を、それが持つ<形態>に即して分類しながら系統的に、形態への旅立ち.有機的形態と抽象思考.空間へ/空間から.世界の構造軸.円環あるいは空虚.存在の石あるいは自然、という6つのセクションに分けて展示した。そうしてより明確に彼の作品世界を浮かび上がらせること、つまり人間的でこの地上に「開かれた」世界として存在するノグチの作品の全貌を明らかにすること、それが本展の主旨である。
人間とは何かという大きな問のもと、人間の形象を探求し続けた伝統的な彫刻の世界と、その方向性が行き詰まった20世紀初頭に新たに起こった、形象を抽象的に抽出した構成主義的幾何学的な彫刻の世界との間で、ブランクーシに影響を受けたノグチは、単に形態そのものの美ではな、伝えられるべき、あるいは宿されるべき意味内容が背後に控えた<象徴>としての彫刻を目指した。森羅万象の生命力、宇宙を支えているエネルギーへの賛歌と感謝、そういった<目に見えないもの>を、物質を用いて<かたち>にし、触れれるようにしたものが彼にとっての<象徴>であり、そのような象徴を生み出すことが、芸術とりわけ彫刻や立体造形の創造行為であった。このような考えから彼は、日本庭園や円環といったモティーフに基づき製作を続け、そこで生み出された作品は、その周囲の環境・空間と結び付き、我々人間の本来的な自然な姿を提示していると言えるだろう。
この展覧会はニューヨークのイサム・ノグチ財団の協力を得て、東京国立近代美術館で開催きれた後、当館へと巡回した。
- 共催:
- 東京国立近代美術館・朝日新聞社
- 会期:
- 5月26日~7月5日
- 入場者数
- 総数40,109人(一日平均1,114人)
- 出品目録
作品名 | 制作年 | 材質・形状 |
---|---|---|
足のような木 | 1928 | 真鍮に金メッキ |
レダ | 1928 | 真鍮に金メッキ |
帆のかたち | 1928 | 真鍮 |
赤い種子 | 1928 | 木、金属 |
北京の墨画 | 1930 | 墨・唐紙、額装 |
北京の墨画 | 1930 | 墨・唐紙、額装 |
歓喜の目 | 1930 | ブロンズ |
中国の娘 | 1930 | ブロンズ |
玉錦(力士)(相撲) | 1931 | テラコッタ |
マグタレーナ(祈る人) | 1924 | フロンズ |
セシル・アールトン | 1925 | テラコッタ |
ポリス・イヴァン・マイドラコフ(M.I.ポリス) | 1925~26 | フロンズ |
R.バックミンスター・フラー | 1929 | クロームメノキのブロンズ |
伯父の肖像 | 1931 | テラコッタ |
スサンヌ・ジークラー | 1932 | 木、石炭塗料 |
タラ・パンディット | 1947 | ブロンズ |
達磨 | 1952 | 陶(唐津焼) |
ムカデさえ | 1952 | 11個の陶(笠間焼)、木製の柱 |
かぶと | 1952 | 陶 |
オバケ | 1952 | 陶、麻、木製の台座 |
無題 | 1952 | 陶(織部焼)、緑色の釉薬 |
祝典(休日) | 1952 | 鋳鉄 |
おかめ | 1956 | 鉄、木製の台座 |
女(リシ・ケシュにて) | 1956 | 鋳鉄 |
死(リンチされた人) | 1934 | モネル合金、木、金属、ロープ |
男 | 1945頃 | 木 |
ラジオ・ナース | 1937 | ベークライト、電気部品、ゼニス・ラジオ会社製 |
私のアリゾナ | 1943 | マデネサイト、プラスチック |
赤い拳のルナー | 1944 | マグネサイト、プラスチック樹脂を塗った歯、電燈 |
英雄のモニュメント | 1943 | 木、紙、骨、糸 |
世界はたこつぼ(私はたこつぼ) | 1942~43 | ブロンズ、木、糸 |
接吻 | 1945 | アラバスター |
母と子 | 1944~45 | 縞めのう |
三位一体(3個組) | 1945 | フロンズ |
グーナス | 1946 | テネシー産大理石 |
凧 | 1958 | ステンレス、円盤研磨仕上げ |
オルフェウス | 1958 | アルミニウム |
立方体の生命 | 1962 | 黒御影石 |
門 | 1969 | 綱鉄、着彩 |
作品名 | 制作年 | 材質・形状 |
---|---|---|
滑り台のための習作 | 1966~85 | カラーラ大理石 |
滑り台のための実用模型 | 1966~85 | ボッティチーノ大理石 |
ディン・ドン・バット | 1968 | 白色の彫像用大理石、ポルトガル産大理石 |
彼女 | 1970~71 | オーストラリア産黒色ボルティコイ大理石、ポルトガル産ローズ、オーロラ大理石 |
マグリツトの石 | 1982~83 | 熔融亜鉛メッキ、スティール板 |
ジャコメソティの影 | 1982~83 | 熔融亜鉛メッキ、スティール板 |
風つかみ | 1982~83 | 熔融亜鉛メッキ、スティール板 |
遊び山 | 1933 | ブロンズ模型 |
形だけで作る遊園地 | 1941 | ブロンズ模型 |
広島の原爆慰霊碑 | 1952~82 | 玄武岩の1/5模型 |
仏陀の記念碑 | 1957 | 木、石膏、ブロンズによる模型 |
バイネッケ稀觀本・手写本図書館の沈床園 | 1960~64 | 木(一部着彩)で作られた庭園模型 |
リヴァーサイド・ドライヴ遊園地 | 1961~66 | フロンズ模型 |
リヴァーサイド・ドライヴ遊園地 | 1961~66 | フロンズ模型 |
夢窓国師のおしえ | 1962 | ブロンズ |
フロア・フレーム | 1962 | ブロンズ |
フロア・フレーム/インドの想い出 | 1970 | シエナ産黄色大理石、ベティツト黒御影石 |
■-ニューヨーク、メトロポリタン美術館のための噴水 | 1985 | 茨城産白色花崗岩、ステンレス板、石 |
この場所 | 1968 | 黒御影石 |
水のテーブル | 1968 | スウェーデン産黒御影石、桃色花崗岩の脚部 |
ジグラット | 1968 | セラヴェッツァ産白色大理石 |
空間のうねり#2 | 1968 | アフリカ産黒御影石 |
銀河系のカリグラフィー | 1983~84 | スウェーデン産黒御影石 |
すずり | 1984 | 花崗岩 |
無限の連結 | 1957 | 鉄(3部分) |
精神の飛行 | 1969 | 緑色と桃色の蛇紋岩、カラーラ大理石 |
地表の風#2 | 1969 | 黒御影石 |
二連の赤い山 | 1969 | ペルシア産赤色トラバーチン |
探す人のヴァリエーション | 1969 | 黒御影石 |
クロノス | 1947 | ブロンズ |
死すべき運命 | 1959~62 | ブロンズ |
犠牲者 | 1962 | ブロンズ |
通霊の石 | 1962 | アルミニウムの枠付きのブロンズ |
細胞有糸分裂 | 1962 | フロンズ |
作品名 | 制作年 | 材質・形状 |
---|---|---|
住人 | 1962 | ブロンズ、アルミニウム |
ヌード | 1964 | 砂岩、アルミニウム、粘板岩 |
円環 | 1945~48 | スウェーデン産黒御影石 |
島C(無) | 1952~58 | ギリシャ産大理石 |
ひき臼の変奏曲♯1 | 1962 | 花崗岩、台板、支柱付き |
白い太陽 | 1966 | イタリア産サラヴェッツァ大理石 |
黒い太陽 | 1969 | スウェーデン産黒御影石 |
真夜中の太陽 | 1989 | スウェーデン産(黒/赤色)花崗岩 |
魔法の環 | 197 | ベルシア産赤色トラバーチン |
歩く空虚#2 | 1974 | スウェーデン産黒御影石 |
無言の歩み | 1989 | 白色ボッティチーノ大理石 |
贈り物 | 1964 | アフリカ産黒御影石 |
緑のエッセンス | 1966 | 緑色の蛇紋岩、アルミニウム製の支え |
内面を求めて の背後一シヴアの踊り | 1972~82 | 玄武岩 |
内なる石 | 1982 | 玄武岩 |
無題 | 1985 | 玄武岩 |
始まり | 1985 | 安山岩 |
終わり | 1985 | スウェーデン産黒御影石 |
- 新聞雑誌関係記事
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新聞記事
朝日:5月20日、5月23日、5月25日(夕刊)、5月26日、5月26日~5月30日(河本信治、高橋幸次)、6月2日(河本信治)、6月13日(吉村良夫)、6月18日、7月1日
読売:6月4日
京都:6月13日(藤 慶之)、7月2日
日経:6月22日
産経:6月29日、7月1日、7月2日(夕刊)
毎日:7月2日
四国:5月1日
MK新聞:6月22日 - 雑誌記事
芸術公論:1992年4月号
FIGARO JAPON:1992年5月号
三彩:1992年5月号No.536
関西版ぴあ:1992年6月号
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