学習支援活動

京都市立銅駝美術工芸高等学校 「平成18年度 新入生美術入門研修」

京都市立銅駝美術工芸高等学校に入学してきた新入生が、これから学校で学ぶ「美術を観て、考え、そして描く」ことを、研修プログラムを通して体験しました。銅駝美工生としての自覚と美術への意欲をあらためて認識してもらう研修です。

日時:
2006年4月18日(火)

当館での研修内容:
@美術館と鑑賞する展覧会の解説講義(約1時間)
Aバックヤード・ツアー(約30分)
B企画展「フンデルトヴァッサー展」コレクション・ギャラリーの鑑賞(約1時間)

スケジュール:
8:30 HRにて出席確認。1日のスケジュールや各自の持ち物を確認。
8:50 学校出発 (引率:教員6名)
9:20 京都国立近代美術館講堂へ入室
9:30 講義(当館学芸課長 河本信治)
10:30 クラス別3グループに分かれて、バックヤード・ツアー、企画展鑑賞、
   コレクション・ギャラリー鑑賞
12:00 集合、点呼

生徒たちの感想@:美術講演「美術って何?」を聞いて、自分が感じたことを書いてください。

私は今までは美術作品等において何となく好き嫌いはあったものの何が描かれているか深く考えたことはありませんでした。また考えていてもいまいち答えが出なかったり、 作品と対話するということがどういうことか、よく分からずにいました。それが今回の講演が少し変化したように思います。「自分と違う人間が何を考え、何をなそうとしたか」絵で表されたメッセージをうけとる、またいつかは自分が発信者となるんだなぁということをじんわり感じました。

見えないものを見せるコト。さわれないものを感じるコト。抽象的なようですがすごいと思いました。書くこと。描くこと。造ること。何かはじめてからでないと美術はそこにあらわれない。思うことを、形にしてみる。それが大変だけど大切だと思えます。自分もがんばらなければ。そう感じています。

美術館は「時代の保管庫」っていうのがかっこよくて、もし自分の絵とかが美術館に展示されるようなことがあったら、その言葉はうれしいな、と思った。その時代に自分がいきていて、なにをかんがえていたかがみんなにわかってもらえるから。

正直な所、良く分かりませんでした。講演の内容がとても濃くて、自分ではまだ理解する事がまだ出来ませんでしたが、作品を作る上で何が大切かが分かったような気がします。分からない点はこれから理解を深めたいと思いました。

河本さんがまず「美術作品を通して見てほしいことは作家の見えない思想・思いを見て欲しい」と言うのを聞いて初めは「ん、どういうこと?」とよくわからなかった。でも話を聞いていくうちに芸術家というものは、ただたんに作品をつくるだけじゃなくて、作品を通していかに社会へ自分の思想・メッセージを伝えていくかが大切なことがわかった。美術というものはただの鑑賞物ではなく作家の自信の思想・感情によって生まれたものであり、作家の魂そのものだと思う。そして美術館が作家に敬意を持ち、展覧会を聞くことによって、私達もその魂に触れ様々なメッセージ、感情を受けとることができるだろう。

私が一番、講演を聞いて印象に残ったのは「8分の1ぐらいしか絵には表現されていない」というところでした。私はまだ美術とはこういう事なのだと語れるほどの経験をつんでいませんが、いつも絵を描く時には、今の自分にあるものをすべてぶつけようという気持ちで描いています。けれどもその絵を自分以外の人が見ても私のすべてを見ることはできないし、感じることもできない。でもその8分の1をどれだけ濃密なものにできるか。そのことによって見る人に強い印象を残すことが大切なのだと感じました。

美術はとてもあいまいなものだと思います。技術だけでは美術じゃない、表現したいことを描いていれば美術として認められるわけでもありません。じゃあ何かな、と考えてみたとき、私の中で出た結論は「人の心を動かす力のあるもの」でした。そして今日、講演を聞き、更にそう思うようになりました。人の心を動かすというのは、作家一人ではできません。
周りに「見る」人がいなければ成り立たない、いわば相対的なものです。それは、今日まで美術作品が残されてきたことが証明しています。作品に対して、尊敬・敬いの念を抱いた人々がいなければとっくに美術作品は失われているからです。講演で、「作品の保存とは“その作品が表している時代の価値観の保存”ということ」「知識ではない、何を考え・感じ・表そうとしたか、ということを展示している」とおっしゃっていましたが、本当にその通りだと 思います。私はこれからたくさんの美術作品を作っていくだろうけど、それがただの「作品」で終わらず、「美術作品」になるようにするのに大切なことは何だろう、と考えさせられました。

生徒たちの感想A:「フンンデルトヴァッサー展」の鑑賞を通して、もっとも印象に残った作品について

【宇宙への逃避】 見た瞬間に目に焼きつけられるような強い印象が残りました。
画面をほぼおおいつくす形で描かれた物体は、人々や建物、木々などまるで地球そのものを一つの意識として表現したような広がりを感じました。タイトルの通り、バックには宇宙が描かれているが、それは地球という星に存在する全てのものと宇宙との境目を失くしてしまうような圧倒的な広がりに感じました。

【血の雨の中での語らい/木版画】 理由は黒くぬられた空から血の雨が降って いるという所が印象に強く残っったから。絵の深い意味はよく分からないけど、絵を見ていると、 とても悲しい気持ちになった。彼の表現モチーフの「渦巻き」がよけいに血の雨を気味悪く見せて、なぜかすい寄せられる感じがした。彼の環境(自然)へ対する感情はとても尊敬する。
「人間と自然」のかけ橋は芸術、5つの皮膚(人間・衣服・家・社会環境・地球環境)、カビ宣言・・・彼の絵が伝えようとした事をもっと知りたいと思った。

【森の下にぶらさがっている家々】 全体的にみどり色っぽくて、好きでした!森って 地面にくっついているものなのに、その下に、“ぶらさがる”てありえへん表現でおもしろいと思いました。展示してあった「ブルマウ温泉村、ローリングヒルズ」という村の中にあった家々と似ていて、“ぶらさがる”ていうより、“うまってる”て感じたと思ったけど、そこもいいと思いました。家の色も、カラフルで色んな色が使われてて、きれいだなと思いました!車とかもかいてあってかわいい感じがよかったです。

【生存か自殺か/ポスター】 私はこの作品を見てとてもドキッとしました。「生存か自殺か」と森が人間に訴えているように思った。生存と自殺。生きるか死ぬか、その2つの答え以外に「生態系を壊さずに生き延びる」という答えを出したのがフンデルトヴァッサーだと思う。1990年は私が生まれた年です。環境破壊は最近の事だと思っていたけどフンデルトヴァッサーは私が生まれるずっと前から絵を通してみんなに伝えていた。

生徒たちの感想B:バックヤードツアーについての印象と感想

バックヤードツアーをしたことで、美術館の作品ではなく「美術館そのもの」を見れた 気がします。作品を安全に運ぶための工夫や、設備がそこにはたくさんあり、裏方では機会や、たくさんの専門の人達が働いていました。1つの展覧会をするのに、多くの協力や支えがいるんだなぁと知りました。この経験を通して、美術についてより多くの知識と関心ができたと思います。

“美術館の7割が、美術館を支える裏方です。”この館長さんのお話が、今日のこのバックヤードツアーで証明された。まずはじめに10畳位ありそうな巨大なエレベーター。
作品を運ぶのに使うために、揺れが少なくてすむように、ワイヤーを使わず、圧力で持ち上げているそうだ。こんな一見目につかないような細かいところでも、常に作品に気を配られているのだと思うと、感動だ。機械室では、火災時の対応や美術館内の環境調整を行っている。ここでは地震や疎水が浸入したときにも対応しているらしい。万が一の事態に備えて常に万全の姿勢で備えているなんて賢明だな、と感じた。今、私たちの目に届く古くからの絵画や美術作品は、こうしたたくさんの美術館の配慮や努力によって現代にその輝きを保ったまま、受け継がれてきたのだ、という印象を受けた。

普段は見られない裏を見られて、本当にラッキーです。表はあんなにきれいな空間を作り出しているのに、後では暗く少し怖い感じの印象を受けました。でも、そういう部屋、支えるものがあるから、人に見せる部分があんなに美しく表現できるんですね。でも、バックヤードツアーは本当に怖かったというかさびしい感じがしました。裏の匂いとか、音とか、色とか。人に見せる部分が「理想」、それを支える部分が「現実」という風に感じます。

すっっごかったです。様々な工夫に「ああ、なるほど!」の連発。作品を鑑賞するときに、 壁のことなど考えたこともなかったので、移動壁のお話にはとても驚いた。こんなしくみ だったのか、と。そのほかトラックから搬入するための上下に動く台?や、30人以上乗っても大丈夫☆な大きいエレベーターに乗るなど貴重な体験ができてとても良かった。他校の友人に自慢したいくらいすてきな思い出。美術館で働いてみたい!とも思いました。が、資格が要るそうですね…。

私は、今まで、美術館のスタッフの仕事は、作品を各国から借りて壁に飾るだけという 甘い考えを持っていました。しかし、実際にはその作品を壁に飾る前も、飾った後もたくさんのスタッフの人々によって作業が行われている事にとても驚きました。例えば、作品を海外から借りるという事だけでも、「急な温度変化をさけるためさまざまな人の手が加わっているのだな」と感謝の気持ちと、良い印象をもちました。やっぱり、同じ作品は二度とつくれないし、私も、尊敬の気持ちを持たなくてはいけないと思いました。

表現の方法は一つではなくて、闘い方も様々だ。僕は“美術館”という表現者を見た気がした。美術館というある種、無機質な感じのするものの中に、生きた人が、多くの人たちが、それぞれの想いを持ってそれを作っている。何かを伝えようとしていることに驚いたし、嬉しくもあった。自分にはないものへの尊敬、興味、誰かを知りたいと思う純粋な気持ちが“美術館”というものの底に流れている。美術館のそういう側面を見せてもらえた ことが嬉しく、感謝している。

美術作品の運搬と保管が凄く厳重に行われていることが分かって、何だかうれしかったです。美術に関わっている人は皆が皆、美術を愛しているんだなぁと思いました。
照明機具が2個落ちただけで(っていっても大変なことだけど)美術館内の全ての照明を別のものに買いかえるなんて、ひたすら作品を大切にしている感じがしました。


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