コレクション・ギャラリー

2019年度 第4回コレクション展 (計125点)

会期

2019年8月8日(木)〜10月27日(日)

前期:8月8日(木)〜 9月8日(日)
後期:9月10日(火)〜 10月27日(日)

主なテーマ

展示作品

和装いろいろ

 9月1日〜7日かけて京都で開催されるICOM2019。その中の、「衣装の博物館コレクション国際委員会(ICOM Costume Committee)」の会場を当館が提供することとなりました。また、3階企画展示室(4階コレクション展会場の一部も)では、京都服飾文化研究財団(KCI)との共催により「ドレス・コード?――着る人たちのゲーム」展を開催いたしております(8月9日〜10月14日)。ICOM2019のテーマは「文化をつなぐミュージアム−伝統を未来へ―」。本コーナーでは、これにあわせて、京都で活躍した近現代の日本画家による、日本の伝統的な装いの美を描いた作品を中心に、展示をいたします。
 ここに紹介する画家達の殆どは、洋装が一般的になった社会に暮らしていました。しかし、京都では伝統的な装いが相応しい職種、あるいは、その装いを支える職種、が盛んであったため、他の都市に比べると、比較的和装で生活し、働く人々が今も多くいます。例えば、五花街の芸・舞妓さんや島原の太夫さん。彼女達の伝統的な装いは、京都に限らず東西の画家達の興味をひき、描かれてきています。また、近代以降の画家は、たとえ歴史上の人物を描く時であっても想像だけで描くことが出来ませんが、京都に多く残る古裂や古い服(いわゆる着物や装束、袈裟など)の伝統的な模様や柄、形状を写すと共に、立体裁断の洋装とは全く異なる、直線で構成された和装を自然に着こなす人々を写生することにより、リアルな表現を追究することが可能でありました。もちろん、その造形の面白さに注目した作家もいました。そして、和装の模様や柄は、衣服の着用される季節と分かちがたく、背景を描くことなくその装いだけで、季節感や、時には人物の感情までをも表し得るため、和装人物は、簡潔な表現を得意とする日本画に最適なモティーフであったとも言えるでしょう。いろいろな日本の伝統的な衣装を纏った人物像から、いろいろな事を読み取っていただければ幸いです。

菊池契月、朝爽、1937年
菊池契月《朝爽》1937年
(展示期間:8月8日〜9月8日)
菊池契月、松風月、1940年
菊池契月《松風》1940年
(展示期間:9月10日〜10月27日)

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夏の日本画(前期)/秋の日本画(後期)

 日本には四季があり、古来日本人はそれぞれの季節の美を愛で、詠い、書き、描いてきました。今回のコレクション展日本画コーナーでは、夏から秋にかけての風物を描いた作品を夏(8月8日〜9月8日)と秋(9月10日〜10月27日)の二期に分けてご紹介いたします。
 夏と言えば水辺の風景。夏の早朝の蓮池に憩う白鷺や、鉢の中で涼しそうに泳ぐ金魚。公園の噴水に涼を求める家族連れや、川べりで夕涼みをする浴衣姿の人々。お家は、簾をつったり、団扇を飾ったり、と、夏の設えに変わります。夏バテの体は、冬瓜やトマトで冷やしましょう。見ているだけで、少し暑さが遠のいてきませんか?そんな大人達とは違って、子供達は、蝉取りや蛙取りに大忙し。遠い夏休みの一日を思い出し、ゆっくりと過ごしてみるのもいいかもしれません。
 そして秋と言えば紅葉。京都で実際に紅葉を目にすることが出来るのは11月に入ってからですが、9月の声を聞くと、何故か紅葉が気になってきます。近代京都画壇を代表する日本画家達の紅葉の競演をお楽しみください。また、秋は収穫の季節であり、五穀豊穣を祈るお祭りの季節でもあります。冨田溪仙の《うづまさ牛祭》に描かれるのは、太秦・広隆寺のお祭りで(もともとは境内にあった大酒神社のお祭り)、鞍馬の火祭、今宮神社のやすらい祭と共に、京都三大奇祭と言われる珍しいものです。しかし、近年は牛の調達がむずかしいために開催されていないとのことですので、昨年度所蔵品となったばかりの本作品によって、ユーモラスな趣を持つという牛祭の様子を知っていただければ幸いです。

西村五雲、新瓜新菜、1937年
西村五雲《新瓜新菜》1935年頃
(展示期間:8月8日〜9月8日)
久保田米僊、蔦もみじ、1885年
久保田米僊《蔦もみじ》1885年
(展示期間:9月10日〜10月27日)

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装束:日本のドレス・コード

 日本におけるドレス・コードはなにか、と問えばその起源の一つに、奈良時代に制定され、後に平安装束や能装束の原型ともなった「衣服令」(701年)が挙げられそうです。これは大宝律令のなかで定められたもので、そのなかで示される「礼服」「朝服」「制服」の形は、同時に身分も示すものでした。そうした意味で装束を纏うことは、記号を纏うことでもあり、決して個人の趣味ばかりが反映されたものではありません。平安神宮で、毎年10月に開催される時代行列は、まさに装束が時代を表象し得るという事実を証明しています。
 さて、企画展「ドレス・コード?――着る人たちのゲーム」では、視る/視られる対象としてのファッションが取り上げられました。本コーナーでは、そのテーマに呼応して、日本におけるドレス・コード「装束」をキーワードに当館のコレクションを紹介します。能装束を題材として描かれた神坂雪佳と能画の名手としても知られる月岡耕漁による《能楽絵十二月》をはじめ、能の一演目を抽象画として表現した宇治山哲平による《能、鵺による》、また京都における儀礼を取材し装束の裏に隠れた素顔を写真でとらえた東松照明による《京まんだら》を紹介します。
 現代美術のなかから紹介する磯辺行久による《Work 64-14 & 15:舞楽》は、俵屋宗達による《舞楽図屏風》(醍醐寺蔵)が表面に描かれた作品で小扉をひらくとワッペン型のいくつものモティーフが姿を現します。わたしたちが装束に抱く古典的なイメージとのギャップが印象に残ります。このように装束のもつイメージを、作家はどのように引き受け、そして作品へ結びつけているのか、日本画から写真、そして現代美術を横断しながら考えたいと思います。

神坂雪佳/坂巻(月岡)耕漁、能楽絵十二月、1921年
神坂雪佳 / 坂巻(月岡)耕漁
《能楽絵十二月》1921年
神坂雪佳/坂巻(月岡)耕漁、能楽絵十二月より「三月・道成寺」
《能楽絵十二月》より
「三月・道成寺」

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日本の装い

 「装い」という言葉は、美しく概観や身なりを整えるという意味で用いられます。日本人は、四季折々そして場に合わせて様々な装いを生み出してきました。その代表的なものに着物があります。着物はかつては日本人の日常的な衣服でもありましたが、現在ではハレの場を彩る特別な存在となっています。その象徴が紬です。紬は日常着であったことから、日本各地で発達しました。しかし、紬糸を染めて織り出す先染めによるやさしい風合いは、今日、外出着としても好まれています。一方で、後染めによる友禅などの訪問着や振袖は、もともと日常着であった紬とは異なり、冠婚葬祭などのフォーマルな場で着られるものです。また、着物は、意匠や風合いによる視覚性や触覚性に加えて、平安時代には四季の移ろいを香りに託して着物に焚き染める風習も発達しました。この風習は今日でも一部で受け継がれています。
 私たちは時として人々の装いに心を奪われることがあります。それぞれの装いが、私たちにとって美しいものとして立ち上がってくるには、装う対象そのものを客観的に捉える感性の働きを必要とするように、装いとは、装うものとそれを知覚するものとの双方向的な関係において成立する文化的行為だといえます。日本人は、明治維新以降、西洋の文物を取り入れていく中で生活様式を大きく変化させてきましたが、大正期に活躍した竹久夢二は、西洋と東洋との出会いを、人々の仕草や装いを通じて、まるで夢を見ているかのように叙情的に描き出しました。

三代田畑喜八、友禅菊華文振袖、大正末
三代田畑喜八《友禅菊華文振袖》
大正末
(展示期間:8月8日〜9月8日)
三代田畑喜八、一越縮緬地鳳凰桐文振袖、1954年
三代田畑喜八《一越縮緬地鳳凰桐文振袖》
1954年
(展示期間:9月10日〜10月27日)

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河井ェ次郎作品選

 近代日本を代表する陶芸家の一人である河井ェ次郎は、明治23年(1890)に現在の島根県安来市に生まれました。東京高等工業学校(現、東京工業大学)を卒業後、京都市陶磁器試験場に技手として勤務し、膨大な数の青磁や辰砂などの釉薬の研究に没頭します。大正6年(1917)に試験場を辞した後、大正9年(1920)に自身の登り窯(鐘溪窯)を手に入れます。大正10年(1921)には、最初の個展を開催し、中国や朝鮮陶磁を手本とした作風で高い評価を得ます。この時期の河井は、「彗星登場」「国宝的存在」などと称されますが、その評価に安住することなく、河井はその後、創作の方向を大きく変え、民藝運動を推進する中で、「暮らし」と創作の密接な関係において作陶を展開していきます。河井の作品における造形性は、晩年に向かうほど、ますます意欲的となり、「生命」の喜びに溢れたものとなりました。
 当館所蔵の河井ェ次郎作品は、長年にわたる河井の支援者であった川勝堅一氏によるコレクション(川勝コレクション)が中核をなしています。川勝コレクションは、昭和12年(1937)のパリ万国博覧会グランプリ作品を含む、質、量ともに最も充実した河井の作品群です。また、初期から晩年までの河井の代表的な作品を網羅した、河井の創作意識の変遷を辿る上での基準資料としても広く知られています。さらに当館には、これまでに川勝コレクション以外にも河井作品が寄贈されてきました。ここでは、川勝コレクション及びそれ以外にご寄贈いただいた河井作品を通じて、河井ェ次郎の世界をご紹介します。

河井ェ次郎、青華花下翔鳳文壺、1922年
河井ェ次郎《青華花下翔鳳文壺》1922年

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装う人/脱ぐ人

 人は古来、男女を問わず、衣服や装身具等で身体を装ってきました。装いは人の役割や地位、生活の仕方、さらには趣味(美への判断力)をも表現(あるいは表出)します。著名人の肖像として制作された絵や彫刻におけるその人の装いの描写は、その人の理想の表明にもなります。
 では、装わない身体、装いを脱いだ身体としての、裸体を表した作品の場合はどうでしょうか。この場合も西洋の美術では、裸体の置かれる状況そのものが、ヴィーナスやアポロン等の古代神話によって装われていたといえます。装わないこと、脱ぐこともまた西洋の美術では装いであり、言わばドレスコードに則っていたということです。
 日本美術にも古来、着衣像に関してはコードがありましたが、裸像に関しては、西洋の美術を摂取し始めた明治期以降も、コードは未成立でした。裸体とは単に服を着ていないことであり、そこに意味や美を見出せていなかったにもかかわらず、西洋の美術に倣って、見よう見まねで裸体を表現し始めたような状態でした。1891(明治24)年、裸体画の是非を問う討論会の中で洋画家の浅井忠が「描くべきものは他にいくらでもある」と発言したのは、ヌードをめぐるドレスコードが日本において未成立であることを冷静に見抜いていたからでしょう。
 では、日本の近代の美術家たちは「装い」をどのように描いたのでしょうか。それを当館の洋画コレクションによりご覧いただきます。

沢部清五郎、梳、1909年
沢部清五郎《梳》1909年

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ICOM開催記念 特別展示 絹谷幸二

 2019年9月1日(日)〜9月7日(土)に国際博物館会議が京都にて開催となります。国際博物館会議とは、ミュージアムの進歩発展を目的とした世界で唯一かつ最大の国際的非政府組織で、ICOM(International Council of Museums)の名で知られています。1946年に創設され、2016年には世界141の国と地域から37,000人のミュージアム関係者が加入しています。ICOMには大小様々な委員会がありますが、これら全ての委員会が一堂に会する大会が3年に一度開かれており、本年は京都で開催となりました。日本では初めての開催となります。
 本大会の公式ポスターの原画を絹谷幸二が手がけました。絹谷は東京藝術大学大学院にて壁画技法を学んだ後、ヴェネツィア・アカデミアへ留学し、ブルーノ・サエッティ氏に師事して本場の壁画技法を習得しました。1973年に帰国。留学中に制作した《アンセルモ氏の肖像》(東京国立近代美術館蔵)が、第17回安井賞展(1974年)へ推薦され、画家の登竜門とも言われた安井賞を受賞して一躍人気作家となりました。現在にいたるまで活発な制作活動を続けるとともに、文化庁と日本芸術院が子どもたちに文化芸術活動の素晴らしさを伝える目的で行っている「子供 夢・アート・アカデミー」にも積極的に関わるなど、次世代の育成にも熱心に取り組んでいます。
 鮮やかな色彩や巨大な画面に描かれた作品には様々なモチーフが登場し、縦横無尽に画家のイマジネーションが展開しています。奈良県出身で幼少期に興福寺周辺を遊び場とし、仏教世界に親しんでいる絹谷の作品には、教養に裏打ちされた深い精神性が宿っています。例えば、《うずもれしは砂の愛》では、「あああ」という苦悶の声や般若心経の一節を砂地の上に鮮やかな色彩で描くことで、人生の苦しみやはかなさを強調しており、うつろいゆく世界に対する作家のまなざしが感じられます。じっくりと鑑賞することで聞こえてくる作家のメッセージに耳を澄ませてみてください。

絹谷幸二、黒谷光明寺降臨文珠菩薩T、2017年
絹谷幸二《黒谷光明寺降臨文珠菩薩T》2017年

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