コレクション・ギャラリー

2019年度 第3回コレクション展 (計138点)

会期

2019年6月12日(水)〜8月4日(日)

主なテーマ

展示作品

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没後80年 村上華岳

 最初の近代日本画家展として取り上げ、また、平成17(2005)年にも大回顧展を開催するなど、当館が注目し続けている村上華岳。その華岳が昭和14(1939)年11月に逝去してから今年で80年が経ちましたので、これを記念して特集展示を行います。
 村上華岳は明治42(1909)年京都市立美術工芸学校(美工)を経て、新設されたばかりの京都市立絵画専門学校(絵専)に入学。両校で円山四条派の流れを学び、浮世絵や南画、さらには西洋絵画を取り入れ、文展に入選、受賞を重ねました。ところが、美工、絵専で出会った入江波光、榊原紫峰、土田麦僊、小野竹喬、野長瀬晩花、華岳の間で、唯一の発表の場であった文展の審査基準への不信が募り、大正7(1918)年彼等と共に自由な制作発表の場を求めて国画創作協会を結成、同協会の展覧会(国展)で活躍します。
 しかし、徐々に、画壇活動がかえって画家の自由な創作を束縛し、芸術活動を不純なものとするのではないか、という当初からの考えが強まっていった華岳は、持病の喘息が悪化したこともあって都から芦屋へと移り、15年第5回展への出品を最後に画壇から離れ、翌年さらに、村上家がある神戸花隈に移ります。
ここで隠遁者のような生活を送るなか、有名な「製作は密室の祈り」という言葉に代表されるように、絵を描くことは、世界の本体を掴み宇宙の真諦に達するための修業と考えるようになりました。主要なモティーフである仏画、六甲山、そして牡丹花や椿花までも主に墨で表現されるようになりますが、色彩が全く無くなったわけではなく、一見墨のみで描かれたようでも、時間をかけ、角度を変えて見ていると、紙地が現れていると思われたところに胡粉が置いてあったり、緑青や朱、代赭、黄土が僅かにさされていたり、金、銀、アルミ泥が刷いてあるのが目に飛び込んできて、はっとさせられます。
 本特集展示では、所蔵作品20点と寄託作品約50点に、資料類並びにこの度修復が終了した盟友入江波光の代表作の大下絵を加えて、前期(4月26日〜6月9日)では京都絵画専門学校から国展時代までの、後期(6月12日〜8月4日)では花隈隠棲時代の作品を中心にご紹介いたします。2期にわたり、華岳作品の魅力をご堪能ください。

村上華岳、観音之図(聖蓮華)、1930年
村上華岳《観音之図(聖蓮華)》1930年

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ボタニカル・ガーデン:植物スケッチから工藤哲巳まで

 「彼が研究するのはたった一茎の草だ。」
 かつて画家のファン・ゴッホが、江戸時代の絵師の植物画に感銘をうけて残した言葉です。植物は芸術家にとって身近なモチーフであり、さまざまな表現が生み出されました。日本画家の千種掃雲による色鮮やかな図案集『洋草花譜』からは、当時西洋から流入した珍しい花々を熱心に観察・研究する画家の好奇心を読み取ることができます。マックス・エルンストは版画集《博物誌》で、葉脈や床の木目、糸、金網などをフロッタージュで写し取り、その抽象的なかたちを自然現象や植物、生物モチーフへと転換させています。版画家の長谷川潔は、あるとき散歩中に一本の老樹が"ボンジュール!"と語りかけてきたように感じたといい、何気ない風景や草花にそれぞれの「神」の存在を見いだす独自の自然観へと至ります。
 同じ一本の花でも、工藤哲巳のプラスチック製の造花が示すのは、現代社会における植物(自然)と人間のアイロニカルな関係です。1960年代以降ヨーロッパを拠点に活躍した工藤は、環境汚染を引き起こす人間の高度なテクノロジーや文明社会、そしてその背後にある人間中心主義を一貫して批判し続けました。ローター・バウムガルテンもまた、自然と人間(人工物)の関わりを民族誌の手法で作品化し、博物館における制度化されたまなざしや「自然」・「文化」といった概念自体が人間の作り出したものであることを指摘しています。今振り返ると、アーティストたちはいずれ来たる人新世(=人間の活動が地球環境に大きな影響を及ぼすようになった地質時代)の到来を鋭く見抜いていたのかもしれません。

工藤哲巳、イヨネスコの肖像、1970-71年
工藤哲巳《イヨネスコの肖像》1970-71年

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世界のガラス工芸

 ガラスは古代よりローマやエジプトをはじめとして世界各国で生産され、その透明感や輝くような色彩が人々を魅了してきました。そして現在、ガラスは産業構造の下で製造される一方で、1950年代よりチェコやアメリカでの自由で造形性の高い創作活動から始まったスタジオ・グラス運動もますます盛んとなっています。ここでは「手仕事の復権」「個性の尊重」「高度工業化社会における人間疎外への反省」など、アーツ・アンド・クラフトの思想との関連性が指摘できますが、今日までの短期間のうちにガラス表現の領域は飛躍的に拡大してきました。
 ガラス表現における第一の特徴は、他の工芸分野同様に、やはり素材の特質の顕在化だといえます。ここでいう特質とは、透明感や輝き、着色の自由さに加えて、切削、研磨、彫り込みなどの造形手法の多様さに由来します。作家たちはこれらの特質を手がかりに世界を見つめ、現代社会における多様な側面をガラスによってかたちにしてきました。
 京都国立近代美術館は、かつて1980年と1981年にガラスをテーマとした展覧会を開催しました。前者は「現代ガラスの美−ヨーロッパと日本」、後者は「現代ガラスの美−オーストラリア、カナダ、アメリカと日本」です。当館収蔵のガラス作品はこれ等の展覧会出品作が中心となりますが、その後も各国の現代工芸を紹介する展覧会を通じて継続的にコレクションの充実に努めてきました。ここでは当館コレクションの中から15点を厳選して世界のガラス表現の一側面を紹介します。

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川勝コレクション 河井ェ次郎作品選

 川勝コレクションは、昭和12年(1937)のパリ万国博覧会グランプリ作品を含む、質、量ともに最も充実した河井ェ次郎作品のパブリック・コレクションです。
 川勝コレクションが当館に寄贈されたのは、昭和43年(1968)のことです。当館への寄贈にあたっては、部屋一面に並べられた膨大な作品群の中から「お好みのものを何点でも」との川勝の申し出に従って415点が選ばれました。それ以前にすでに寄贈されていた3点と、初期作品が不足しているとのことで後に追加となった7点を加えて、計425点に上ります。このコレクションは、中国陶磁を手本とした初期から、民藝運動に参画後の最晩年にいたるまでの河井の代表的な作品を網羅しており、その仕事の全貌を物語る「年代作品字引」となっています。
 コレクションを形成した故・川勝堅一氏は、島屋東京支店の宣伝部長、島屋の総支配人、横浜島屋専務取締役などを務め、また、商工省工芸審査委員を歴任するなど、工芸デザイン育成にも尽力しました。
 河井と川勝の長年にわたる交友は、大正10年(1921)に島屋で開催した河井の第1回創作陶磁展の打ち合わせのために上京した河井を川勝が駅まで迎えに行ったことに始まります。そこでたちまち意気投合したことで、川勝は河井作品の蒐集を始めます。コレクションについて川勝は「これは、川勝だけの好きこのみだけでもなく、時として、河井自らが川勝コレクションのために作り、また、選んだものも数多いのである」と回想し、さらに「河井・川勝二人の友情の結晶」だとも述べています。

河井ェ次郎、印花■泥盂、1922年
河井ェ次郎《印花塡泥盂》1922年

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日本洋画にみる花

 企画展「トルコ至宝展」では、チューリップ文様で飾られたオスマン帝国時代の工芸作品を多数展示しています。イスラーム世界の美術では薔薇のような植物文様が好まれましたが、オスマン帝国では特にチューリップ文様が愛されたのです。チューリップはアッラーの神を象徴すると同時にオスマン王朝の祖先をも表すと考えられたからでした。
 オスマン帝国に限らず、植物の姿を描くことはあらゆる時代、あらゆる地域の美術で好まれました。美しい花を愛し、その姿に願いや祈りを託すことは時代や地域を超えて普遍の行為であるのでしょう。日本人も古来、様々な作品や空間を草花の文様や絵画で飾ってきました。植物の形に幸福や繁栄の寓意をこめる中国の伝統の影響の下、日本でも植物の多彩な姿は「めでたさ」を表すとも考えられました。さらに、花への想いを詠う和歌や俳諧、物語の記憶も花への視覚に重ねられ、花の意味を豊かにしました。
 江戸時代の後半には、西洋の絵画や博物学の影響を受け、草花や鳥獣の形態を精密に描写することが流行しました。そして西洋絵画の受容が本格化した明治以降、油彩画による静物画や風景画等では花という対象の造形性が純粋に探求されるようになったと言えます。それでも梅や桜、朝顔、菊のような花が描かれるとき、花鳥画や古典文学の記憶はその眼差しに溶け込んでいたのかもしれません。
 ここでは当館コレクションから近代日本洋画における多彩な花の表現をご覧いただきます。

藤島武二、花籠、1913年
藤島武二《花籠》1913年

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