作家略歴

荒川修作 あらかわ・しゅうさく

 武蔵野美術学校を中退した後、1957年から読売アンデパンダン展に出品、1960年には篠原有司男らと共に前衛芸術グループ、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成する。同年9月に「もうひとつの墓場」と題した初個展を、さらにその4ヵ月後には二度目の個展を開く。柩のような木箱の中に奇妙な形をしたセメントの塊が生物標本のように鎮座する立体作品、「棺桶」シリーズが並ぶ展覧会であった。また科学、数学、物理学、医学への関心もこの頃からである。1961年、25歳でニューヨークへ渡り、翌年には公私にわたるパートナーとなる詩人マドリン・ギンズと出会う。1963年頃から、シルエットや矢印、線、写真、色のグラデーションなど、次元の異なる要素を使用して絵画化した「ダイヤグラム(図式)」シリーズの制作をはじめる。1970年のヴェネチア・ビエンナーレでは、代表作のひとつ「意味のメカニズム」シリーズを出品する。そこで言葉は、イメージや物のシンボルとしてだけでなく他の記号・かたちや色と並ぶ、自律した描かれる対象となっている。1980年代は、インスタレーション、装置型作品にも取り組み、1990年代以降には《養老天命反転地》(1995年)に代表されるような、従来の美術・芸術の範疇にはおさまらない、かつ人間の身体により直接働きかける建築的作品、都市計画を中心としたプロジェクトをも手がける。2010年ニューヨーク市内の病院にて惜しくも亡くなった。

1936年(昭和11)− 2010年(平成22)

1936年愛知県名古屋市に生まれる
1956年武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)入学、後に中退
1957年第9回読売アンデパンダン展(東京都美術館)出品、
以降第13回(1961年)まで毎回出品
1960年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ結成
初個展「もうひとつの墓場」(村松画廊、東京)
1961年渡米、ニューヨークに移住、以降活動の拠点となる
1965年「現代美術の動向 絵画と彫塑」展(国立近代美術館京都分館)出品
1966年第7回現代日本美術展出品、大原美術館賞受賞、
以降第8回(1968年)最優秀賞受賞
1967年第9回日本国際美術展出品、東京国立近代美術館賞受賞
1968年第4回ドクメンタ(カッセル、ドイツ)出品、以降第6回(1977年)出品
1970年第35回ヴェネチア・ビエンナーレ展出品
1972年個展「意味のメカニズム」展(ベルリン市立美術館ほか)開催巡回
1975年第7回国際絵画フェスティバル
(カーニュ・シュル・メール、フランス)大賞受賞
1979年個展「荒川修作展:絵画についての言葉とイメージ」(西武美術館、東京)
1982年紺綬褒章受章
1986年「前衛美術の日本 1910-1970」展(ポンピドゥ・センター、フランス)出品
文芸シュヴァリエ勲章(フランス)受章
1988年ベルギー批評家賞受賞
1991年「荒川修作の実験展―見る者がつくられる場」
(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)
1997年「宿命反転―死なないために」展
(グッゲンハイム美術館ソーホー、アメリカ)
カレッジ・アート・アソシエイション賞(アメリカ)受賞
2003年紫綬褒章受章、第10回日本現代藝術振興賞受賞
2010年5月19日、ニューヨーク市内の病院にて73歳で死去、旭日小綬章受章


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