[洋画特集展示] 麻生三郎をめぐる画家たち

期間
2010年12月22日(水)〜 2011年2月27日(日)
展示作品
「麻生三郎をめぐる画家たち」 展示目録

 このたび東京国立近代美術館との共催で、「麻生三郎展」(2011年1月5日−2月20日)を開催いたします。当館でも麻生三郎(1913-2000)の代表作《赤い空》(1956年)や《横になった人》(1963年)を収蔵(これらの2点の作品は「麻生三郎展」にも出品されています)するほか、ご遺族からも京都滞在時に制作された《醍醐寺》(1953年)など2点、さらには作者の個展をたびたび開催してきた東京の南天子画廊からも《立つ人》(1981年)をはじめ4点の素描を寄贈いただきました。
 今回のコレクション・ギャラリーでは、これらすべての寄贈作品を披露するとともに、当館所蔵の洋画作品を加えて「麻生三郎をめぐる画家たち」の特集展示を企画いたしました。
 麻生三郎は、1930(昭和5)年に明治学院中等部を卒業した後、松本竣介らが学んでいた太平洋美術学校選科に入学しました。同年11月には独立美術協会が結成され、麻生も同会会員であった里見勝蔵の講演会にも足を運んで、当時の新しい美術動向を吸収しようとつとめます。翌年の6月には、その松本竣介らと太平洋近代洋画研究会を結成し、会員となり、この頃から靉光や長谷川利行、詩人の高橋新吉たちとの交遊もはじまりました。
 ところで、当館では2010年の9月から10月にかけて、「『日本画』の前衛 1938-1949」展を開催しました。この展覧会では、「日本画の前衛」集団である歴程美術協会の活動を主に紹介し、同協会は洋画の自由美術家協会や美術文化協会とも交流を深め、歴程の展覧会には、これらの協会に属する数多くの洋画家たちも訪れていたのです。麻生も、1939(昭和14)年に、北脇昇や靉光らと美術文化協会の結成に参加、とりわけ靉光とは、親しく交わり、靉光が1946(昭和21)年に上海で戦病死した際には、その「霊に捧ぐ」芳名録(原爆の図丸木美術館蔵)に、麻生は松本竣介や山本正たちとともに記帳していました(その芳名録の写しを、パネル展示として、今回紹介しています)。松本竣介は、麻生が栃木県に疎開していた時にも、自宅2Fに来るよう誘っていたといいます。
 麻生三郎は、1947(昭和22)年には自由美術家協会にも参加、同協会の展覧会にも出品するようになります。そして1965(昭和40)年には、自由美術家協会を退会し、神奈川県立近代美術館で森芳雄と二人展を開催(1962年)し、また山口薫らとともに展覧会も開催されています。
 麻生三郎がはじめて公募展に出品し、入選したのは、独立美術協会(1939年)でした。今回の「特集展示」で、麻生三郎をめぐる画家たちの作品にも、麻生の生み出した絵画世界と響きあう精神性と造形性が漂っていることが理解いただけるのではないでしょうか。


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