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コレクション展作家略歴

作家略歴

田中敦子 たなか・あつこ

1922年(大正11)- 2005年(平成17)

1932年 大阪府に生まれる
1950年 京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)西洋画科中退
1954年 0(ゼロ)会展(そごう百貨店、大阪)
1955年 具体美術協会会員となり(1965年退会)、
第1回具体美術協会展(小原会館、東京)出品
1959年 「アルテ・ノーヴァ―新しい絵画展」
(Circolo degli Artisti, Palazzo Graneri, Torino)出品
1961年 「現代美術の実験」展(東京国立近代美術館)出品
1963年 「現代絵画の動向―西洋と日本」展(国立近代美術館京都分館)出品
1964年 第6回現代日本美術展(東京都美術館)出品、優秀賞受賞
1965年 ヌル国際芸術展(ステデリック美術館、アムステルダム)出品
(-1967年)「日本の新しい絵画と彫刻」展
(サンフランシスコ美術館ほかアメリカ巡回)出品
1973年 「戦後日本美術の展開―抽象表現の多様化」展(東京国立近代美術館)出品
1975年 「田中敦子展」(カサハラ画廊、大阪)
1979年 「吉原治良と具体のその後」(兵庫県立近代美術館)出品
1981年 「1960年代―現代美術の転換期」展
(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)出品
1987年 「ATSUKO TANAKA, Peintures」展(スタドラ―画廊、パリ)
1990年 「田中敦子展」(喜多美術館、奈良)
1993年 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ出品
1999年 「アクション 行為がアートになるとき 1949-1979」展
(東京都現代美術館)出品
2001年 「田中敦子 未知への探求 1954-2000」展
(芦屋市美術博物館、静岡県立美術館)
2005年 肺炎のため73歳で死去

1953年頃、大阪市立美術館付設研究所で共に学んでいた金山明の助言で抽象美術の方へ向かう。その後、先鋭的グループ「0(ゼロ)会」への参加を経て、0会中心メンバーと共に具体美術協会に入会し活躍する。2m間隔でつながった20個のベルが順に鳴り響く仕組みになっている≪ベル≫や、エナメル塗料で色とりどりに塗り分けた約90個の電球と約100個の管球を取り付け、明滅する服に仕立てた≪電機服≫など次々と奇抜な作品を発表した。≪電機服≫の電球とコードから着想を得た、無数の小さな円とそれを結ぶ錯綜する線による絵画作品は、1957年頃から生涯に渡り描き続けられた。当館の所蔵品≪作品’63≫(1963)、≪作品’70≫(1970)、≪’78B≫(1978)は、いずれもそのヴァリエーションである。2007年、5年に一度ドイツ・カッセルで開催される国際美術展「ドクメンタ」の第12回展に、10m四方のピンクの人絹(レーヨン)を地面から約30㎝の高さに張るという1955年の作品が再制作され話題をよんだ。


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