作家略歴

斎藤義重 さいとう・よししげ

1904年(明治37)− 2001年(平成13)

1904年 東京に生まれる
1933年 アヴァンガルド洋画研究所に入る(1935年離籍)
1936年 第23回二科展(東京府美術館)出品、初入選
1938年 絶対象派協会を結成(2月)、九室会に参加(12月)
1957年 第4回日本国際美術展(東京都美術館)出品、K氏賞受賞
1958年 初個展「斎藤義重展」(東京画廊)
1960年 第3回グッゲンハイム国際美術賞展出品、優秀賞受
1963年 「現代絵画の動向―西洋と日本―」展(国立近代美術館京都分館)出品
1964年 第32回ヴェネツィア・ビエンナーレ出品
多摩美術大学教授に就任(1973年退職)
1965年 (−1967年)「日本の新しい絵画と彫刻」展
(サンフランシスコ美術館ほかアメリカ巡回)出品
ニューヨークに滞在(翌年帰国)
1974年 針生一郎、中原佑介らと「現代文化センター(CCC)」を開設
1978年 「斎藤義重展」(東京国立近代美術館)
1984年 「斎藤義重展」 (東京都美術館、栃木県立美術館、兵庫県立美術館、大原美術館、ほか)
1993年 「斎藤義重による斎藤義重展 時空の木―Time・Space, Wood―」(横浜美術館ほか)
1999年 「斎藤義重展」(神奈川県立近代美術館)
2000年 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000、出品
2001年 97歳で死去
2003年 「斎藤義重」展(岩手県立美術館、千葉市美術館、島根県立美術館ほか)

 父の書斎でヨーロッパの美術・建築風景などの写真アルバムを興味深く見ていたという幼少期を経て、中学時代から絵を描き始める。16歳頃、ロシア未来派の亡命画家ダヴィト・ブルリューク等の作品展を見て、制作のあり方と表現に衝撃を受けた。1933年から1935年まで古賀春江、東郷青児らが主宰する、アヴァンギャルド洋画研究所に在籍。構成主義、ダダイスムなどから刺激を受けて制作する。二科展、絶対象派協会展、九室会展などに出品し1930年代以降の前衛美術運動のパイオニア的役割を果たす。1960 年代、ドリルを用いて合板の表面に素早く傷つける作風がはじまり、70年代、シンプルな造形と単色の合板レリーフによる、「四つの位置」や「反対称」シリーズを発表、さらに80年代は黒色に塗布された板を連結した「複合体」シリーズへと進展し、独自の構成主義的作品を制作した。2000年には越後妻有トリエンナーレに出品するなど、97歳でその生涯を終えるまで精力的に活動を続けた。


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