作家略歴

前田常作 まえだ・じょうさく

1926年(昭和元)− 2007年(平成19)

1926年 富山県に生まれる
1945年 歩兵連隊に入隊、富山大空襲を経験し終戦を迎える
1949年 武蔵野美術学校西洋画科入学
1957年 第1回アジア青年美術家展出品、大賞、パリ留学賞、国際美術家賞受賞
1958年 渡仏
1959年 第1回パリ青年美術家ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)招待出品
1961年 第6回日本国際美術展(東京都美術館)出品、国立近代美術館賞受賞
1963年 「現代絵画の動向」(国立近代美術館京都分館)出品
1968年 第1回インド・トリエンナーレ(ニューデリー)招待出品
1971年 「戦後美術のクロニクル展」(神奈川県立近代美術館)出品
1972年 「現代美術の鳥瞰」展(京都国立近代美術館)出品
1979年 京都市立芸術大学美術学部教授となる
1983年 武蔵野美術大学油絵学科教授となる
1986年 日本美術家連盟理事となる
1989年 「前田常作展」(富山県立近代美術館)
1990年 「前田常作展 ―曼荼羅への旅―」展(目黒区美術館、大原美術館)
1992年 紫綬褒章受章
2000年 武蔵野美術大学理事長に就任
2002年 前田常作展 1956−1972(高岡市美術館)
(-2003年)「前田常作 マンダラへの道」
(神奈川県立近代美術館、茨城県つくば美術館他)
2007年 心臓病のため81歳で死去

 武蔵野美術学校入学後、自由美術家協会展に出品し、第13回展で初入選。1953年卒業後、滝口修造の推薦により初個展を開催、以降滝口との親交を深める。1958−1966年パリ留中に、批評家ジャレンスキーによって「マンダラ的」な作風であると指摘され、記号化した人体細胞のエネルギッシュな集積からなる<曼荼羅シリーズ>に着手する。<人間風景>・<秘儀の空間>シリーズへとこれを展開。1972年のインド旅行や1974年のイラン・イラク旅行を経て、この「曼荼羅」図像の研究は一層深められることとなり、曼荼羅の図像を造形の基本原理に据えた宇宙的イメージを追求。当館所蔵の≪人間星座(8)≫(1962)は滞欧作の一点であり、記号化された形象を用いながらも、東洋的で運動感みなぎる有機的構成が実現されている。


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