作家略歴

菅野聖子 かんの・せいこ

1933年(昭和8)− 1988年(昭和63)

1933年 仙台市に生まれる
1954年 福島大学学芸学部図工科入学
1955年 第23回福島県美術協会展覧会出品、絵工堂賞受賞
1956年 福島大学学芸学部図工科卒業
1957年 第16回創元会展(東京都美術館)出品、美術堂賞受賞
1958年 石巻服飾技芸専門学校卒業(推定:1956年入学)
1963年 『灌木』に参加、以降多数の詩を本誌に発表し続ける
1964年 具体美術新作展(グタイピナコテカ・大阪)出品
1965年 第18回芦屋市展(芦屋市民会館)出品、ホルベイン賞受賞
1968年 具体美術協会会員となる
1969年 「菅野聖子 個展」(今橋画廊・大阪)
1970年 万国博みどり館〈エントランスホール〉グタイグループ展示に出品
第5回ジャパン・アート・フェスティバル(日本芸術祭)
(東京国立近代美術館)に応募、入選
1971年 「菅野聖子個展」(グタイピナコテカ・大阪)
1974年 「Today’s Art of Japan '74」
(Musee d'Art Contemporain, Montreal / The Vancouver Art Gallery)
1975年 『菅野聖子詩集 プラス マイナス 3シグマ』(蜘蛛出版社)出版
1976年 「Ge展」(大阪府民ギャラリー)出品
1978年 「菅野聖子個展―絵画による物理学の楽しみ―」(大阪府民ギャラリー)
1979年 「吉原治良と具体のその後」(兵庫県立近代美術館)出品
1983年 「菅野聖子展 PHYSICAL DESIGN」(大阪府立現代美術センター)
1987年 「菅野聖子展〈いたるところ微分不可能な関数族のみたす方程式〉」
(平松画廊・大阪)
1988年 蜘蛛膜下出血のため倒れ、逝去

 仙台市に生まれた菅野は、高校在学中から絵画に興味を覚え、福島大学学芸部図工科で美術を学んだ。卒業後は抽象画を制作し始め、1958年結婚を機に神戸へ移居、1961年から《モーツァルト、ピアノ・コンチェルト第19番》(1961)といった、モーツァルトを聴きながらちぎった英字新聞のコラージュ作品に取り組む。1963年現代詩の同人誌『灌木』に参加。絵に行き詰まりを感じ、その気持ちから逃れるためにカタカナによる詩の創作を始める。1960年代半ば、吉原治良率いる「具体美術協会」の展覧会に出品すると同時に、視覚詩・コンクリートポエトリーを研究するグループ「ASA」にも加わり、この頃《作品》(1967)のような、極めて細密な描線による直線的なパターンが無数に集積する、代表作品のシリーズが生み出された。菅野の関心は絵画、詩にとどまらず、宗教、哲学、物理、数学へと拡がり、大阪大学や京都大学で本格的に物理、数学関係を学び、その影響は《いたるところ微分不可能な関数族のみたす方程式(2)》(1988)等に見られる。1988年に急逝するまで制作において新たな展開を見せ続けた。


このページの先頭へ