19世紀末京都の一動向——田村宗立、伊東忠太を中心に

期間
平成21年10月27日(火)〜12月27日(月)

展示作品
19世紀末京都の一動向——田村宗立、伊東忠太を中心に 展示目録

当館は、本年6月から7月にかけて、京都新聞創刊130年を記念した展覧会「京都学 前衛都市・モダニズムの京都 1895–1930」を開催しました。この展覧会は、当館が位置する岡崎公園が、京都の文化ゾーンとして誕生・成立してゆく過程を再考し、その起点を1895(明治28)年に岡崎で開催された「第四回内国勧業博覧会」と「平安遷都千百年紀念祭」におき、琵琶湖疏水の建設をはじめとして近代都市化のすすむ京都が、いかに豊かな近代文化を育んでいったのか、というその一端について多様な作品・資料をもとに紹介したものでした。

そして「平安遷都千百年記念祭」の象徴であり、「第四回内国勧業博覧会」の中心的パビリオンであったのが平安神宮です。その地鎮祭(1893年)に際して、京都新聞の前身である日出新聞は大鳥居を寄贈し、夜ともなると大鳥居は、まさに電気事業の可視化ともいうべきイルミネーションで彩られていたといいます。平安神宮は、当時はまだ東京帝国大学の大学院生であった伊東忠太のデビュー作であり、伊東忠太は後に、「造家学」という言葉を「建築学」に変えることを提唱し、東京大学名誉教授となって、まさにわが国の近代建築界における中心人物となりました。「京都学」展でも、平安神宮創建当時の図面9面を初公開するほか、平安神宮造営時の「協や勧業博覧会に出品された久米桂一郎の《清水秋景図》(1893年、奈良県立美術館蔵)などの作品を紹介しています。

今回の小企画では、「京都学」展閉幕の後、平安神宮から当館に寄託となった図面すべてを再度展示し、あらためて19世紀末に出現した近代における復元建築(平安神宮は、平安京にあった大極殿の復元建築)の意義を考えてみたいと思います。さらに「19世紀末京都」という視点で興味深いのが、京都における洋画の先覚者・田村宗立の活動です。幸いにして、田村の貴重な作品・資料の多くがご遺族から寄贈の運びとなりましたが、とりわけ田村15歳ころの画帖には、事物の陰影描写を発見し、写実を追究してゆく様が生々しく捉えられ、後年には写真機さえ購入して、写実表現の参考にしたという田村の姿が彷彿とするでしょう。《京都駆黴院図》(1885年)は、旧京都府立洛東病院の前身で、医療のみならず外国語を用いた科学技術の粋を集めた施設としても貴重であり、田村宗立はここで解剖の図を描き、油絵についても情報を集め、海外遊学を夢見て外国人たちと交流をしていました。近代化の動向の中に、田村も確かに位置していたのです。

これまで、京都の美術や文化について「19世紀末」という時間軸で語られることはなかったと思われます。しかしこの時代こそ、京都が近代都市化に向けて大きく動きはじめたといって過言ではありません。

関連シンポジウム

第1回 「東西文化の磁場」 シンポジウム 「『東西文化』交流の視点から見た19世紀末 京都における一動向——第四回内国勧業博覧会開催(1895年)前後を中心に」

2009年11月7日(土)午後1時30分〜4時40分
京都国立近代美術館 1F 講演室


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