コレクション・ギャラリー

平成19年度 第2回コレクション・ギャラリー(計107点)

期間
平成19年5月8日(火)〜6月3日(日)

主なテーマ
【小企画】 福田平八郎と師友たち
【西洋美術】海外の近代美術
【特集展示】バレエ・リュス
【特集展示】福田平八郎と同時代の京都・洋画

展示作品
平成19年度 第2回コレクション・ギャラリー 展示目録

特集展示 「福田平八郎と同時代の京都・洋画」

2007年4月10日(火)〜6月3日(日)

7月31日(火)から9月17日(月・祝)にかけて、当館では「没後10年 麻田浩展」を開催いたします。麻田 浩は、日本画家・麻田辨自の次男として京都市に生まれました。兄も、後に日本画家となった麻田鷹司で、麻田 浩は1971年から82年にかけて、パリを中心にヨーロッパで活動を続け、帰国後は、京都市右京区龍安寺にアトリエを構えています。すぐ近くの龍安寺衣笠下町には、父・辨自の画室があり、1945年から49年にかけて、実は福田平八郎も、この画室で制作していたのです。

今回、「福田平八郎展」を開くにあたり、当コレクション・ギャラリーでも、「福田平八郎と師友たち」と題した小企画を開催しています。そして、福田平八郎と同時代の京都ゆかりの「洋画家」たちにもスポットをあてながら、福田平八郎の生きた京都の美術界について(1900年ころから1980年ころまで)、あわせてふりかえってみたいと思います。

福田平八郎は、1892(明治25)年に大分市内に生まれ、1910(明治43)年、画家を志して京都に出て京都市立美術工芸学校に学び、その後もほとんどの時期、京都で活動を続けました。

ところで、平八郎が京都に出た1910年前後は、名実ともに京都・洋画の指導者となる浅井 忠の入洛(1902年)、さらには1906(明治39)年の関西美術院の創設など、京都・洋画界が活気づく時期と重なっています。当館にも、この時代あたりに制作された京都ゆかりの洋画家たちの、滞欧作を含む作品が数多く収蔵されています。そして、これらの作品の多くには、いかにも明治洋画といった雰囲気の漂う、京都・円山公園をモチーフにした印藤真楯の《夜桜》(1897年)などとも異なり、一見して、フランス印象派風の明るい表現感覚が示されています。それとともに、黒田重太郎の《裸婦習作》(1924年)にも見られるように、セザンヌから立体派などの影響を経て、まさに造形性を前面に押し出した表現も生まれました。

そうした印象派や立体派など、海外の動向の影響を受けつつも、京都では1933(昭和8)年、須田国太郎を学術面の指導者として迎えて開所された独立美術京都研究所の存在は大きく、里見勝蔵はフォーヴィスムを、小牧源太郎や今井憲一らは、シュルレアリスムを手がかりに独自の作風を開拓してゆきました。

抽象表現を推進した画家としては、孤高の女流画家・松村綾子や、金田辰弘、独立の安田 謙、行動の伊藤久三郎らも見逃せないでしょう。そして、1970年代ヨーロッパで磨いた具象表現を、帰国後1980年代に、より詩情性を深めた大画面作品へと展開させた麻田 浩についても、ここであらためて紹介しておきたいと思います。

(主任研究員・山野英嗣)


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