藤田嗣治と二科・九室会の画家たち

期間
平成18年5月23日(火)〜 8月6日(日)

展示作品
藤田嗣治と二科・九室会の画家たち 展示目録

     このたび、待望久しい藤田嗣治(1886–1968)の生誕120年を記念した展覧会を、5月30日(火)から7月23日(日)まで開催するにあたり、これまであまり知られていない藤田の日本での活動に焦点をあて、藤田の影響を受けたと思われる「二科・九室会」の画家たちを紹介いたします。さらに当館に寄託されている藤田作品も加え、展示いたします。
     藤田は、1933(昭和8)年に帰国してから1939(昭和14)年にふたたび日本を離れるまで国内各地に滞在し、大阪・そごう百貨店の食堂、東京・銀座コロンバン、さらには京都の日仏学館や丸物百貨店、横20メートルにおよぶ《秋田の行事》などの壁画を手がけました。そして、この時代もっとも注目すべきは、1934(昭和9)年の3月に二科会会員となり、同年の第21回二科展に27点の作品が特別陳列されたことで、「二科内でもっとも目立ち、対外的にも二科会の“顔”のような存在であったのは藤田嗣治だ」(瀧悌三)という指摘もあるように、藤田はニュー・リーダーとして、二科会においても重要な位置をしめていました。
     その藤田を、東郷青児とともに顧問として招き、スタートしたのが九室会です。二科は1933年に開かれた第20回展あたりから、展示会場の第九室に前衛的傾向の強い作品を集めるのが、慣例となっていました。この後、1938(昭和13)年9月の二科展開催中に、吉原治良、峰岸義一らが中心となって、九室に出品の作家のみならず、広く前衛表現に理解ある者たちへもはたらきかけ、同会結成の動きが活発化しました。この後、同年12月3日、正式に発会式を行い、36名の会員のほか、東郷・藤田を顧問とし、翌年春には九室会の第1回展を開くことや、声明文も発表されました。
     創立会員には、吉原治良、斉藤義重、伊藤久三郎、山口長男らが名を連ねていますが、この第1回展が開かれる直前の4月3日、九室会の有志たちが、6日に再渡仏を控えた藤田の送別会を催しました。そして第1回展は、5月9日から15日まで、東京・日本橋に白木屋で開催され、90点の作品が並び、藤田も《静物》を賛助出品しています。
     しかしこの九室会に対する一般の反響は冷たく、その後1940(昭和15)年には、「前衛」的な姿勢は一掃され、時局を反映した戦時表現が大勢をしめるようになり、1943(昭和18)年に開かれた第3回展を最後に、九室会の活動は停止せざるをえなくなりました。こうして、戦前の九室会は、不運にもわが国が戦争へと傾斜してゆく時代とも重なり、その活動は未完となりますが、しかし戦後は1950(昭和25)年に復活し、吉原、斉藤、山口らの「前衛」精神が引き継がれ、豊かな成果を育んだことは、周知のとおりです。また、藤田がこうした「前衛」を志す若い画家たちの師表として迎えられていたことも忘れてはなりません。


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