コレクション・ギャラリー

平成18年度 第8回コレクション・ギャラリー(計63点)

期間
平成18年10月3日(火)〜11月5日(日)
主なテーマ
【特集展示】「洋画」における日本的感性
【西洋美術】海外の近代美術
【版 画】横尾忠則の日本
展示作品
平成18年度 第8回コレクション・ギャラリー 展示目録

特集展示 「洋画」における日本的感性

 たとえば映画の世界で「洋画」は、日本で制作された「邦画」に対して、アメリカ映画やフランス映画というように「外国映画」のことを指しています。そして美術の世界でも、「西洋絵画」の略称として「洋画」という言葉が用いられますが、映画の「洋画」が、海外で外国人によって制作された作品のことを意味するのに対し、美術における「洋画」は、当然のことながら日本をはじめ、東洋人によって描かれた絵画のことを指しているのです。加えて興味深いのは、「洋画」という油彩を中心とした西洋の技法が、わが国に受容されて以降、いわばその対をなす概念として、「日本画」という言葉が明治10年代以降、広く使われるようになったことでしょう。そこで今回の特集展示では、この「洋画」について、再考いたします。
 今年の5月から7月にかけて、当館でも藤田嗣治の生誕120年を記念した回顧展を開催し、これまでベールに被われていた画業の全容を紹介することができました。藤田は、わが国の「洋画家」としてはじめて、1920年代エコール・ド・パリの舞台で活躍し、「すばらしき乳白色の肌」と称された裸婦作品で高い評価を得ています。しかしながら、藤田が賞賛された「乳白色」の技法とは、日本画で「白色」を描くときに用いる胡粉を駆使したもので、しかも裸婦の輪郭線も、日本画の筆である面相筆で「墨」によって表現されていたのでした。藤田自身「兎も角もパリで一家を成したのは、日本画の素養があったからだ」とさえ語っています。
 ところで現在、当館では「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展が開催されています。出品作の中心である若冲の絵画には、むしろ現代にこそ響きあう造形感覚が認められ、わが国18世紀の江戸時代に、グラフィック的ともいうべき、きわめて突出した「西洋」的感性が見られることも驚きです。当館ではこの後、明年(1月10日–2月25日)に「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」の開催を予定し、この展覧会でも、「日本画」と「洋画」という言葉にとらわれない表現こそが、むしろわが国「近代」絵画の重要な柱であったことを明らかにする、興味深い展覧会となるはずです。 
 さて、当館の「洋画」コレクションの核をなす須田国太郎の作品では、京都・円山公園の《夜桜》という、いかにも日本的な主題が選ばれているばかりでなく、技法上でも、《少女》の作品の背景には、油絵の具に日本画の顔料を加えて描かれています。同じく梅原龍三郎も「日本的油絵」を求めて、油彩に岩絵の具を併用し、金なども用いました。須田はその創作課題の根底に、「なぜ東洋と西洋と違った方向に向いて絵が発達したのだろう。その違いは、我々の新しいものの要求は、その綜合の上に立つのではないか」という大きなテーマを掲げ、生涯その理想の実現に努力したことも、よく知られています。
 また、明治時代の「洋画」には、田中善之助の《少女像》《女》のように、いかに日本風俗を油彩によって描くという意志が認められるとともに、それは戦後も、小林和作や小山敬三らによって、典型的な「日本風土」をどのように「洋画」として定着させるかという姿勢へと引き継がれてゆきます。こうした「日本的感性」の表現が、もっとも成功した作例として、岡田謙三の《入江》をあげることもできるでしょう。さらに、前田常作の《人間星座(8)》や小牧源太郎の《忍仙陀羅尼No.1》では、より土俗的な表現も示され、まったく違った「日本的感性」の追求が見られます。
 今回の「特集展示」では、わが国が西欧から学びとった「洋画」表現を、いかにわが国の風土にふさわしいものにしていったかという、その過程についてふり返っています。

(主任研究員・山野英嗣)

版画 横尾忠則の日本

 当館では現在「プライスコレクション:若冲と江戸絵画」展を開催しています。コレクターのジョー・プライス氏は、その豊かなイマジネーションの世界に魅了され壮大な近世絵画のコレクションを形成するに至りました。この近世絵画の前近代的、土着的な要素を巧みに取り入れることで、斬新な表現を生み出し続けてきたのが美術家の横尾忠則(1936年生まれ)です。横尾は、1960年代よりグラフィックデザイナーとして活躍し、その後もポスター、イラストレーション、絵画、舞台美術、装幀、映画などさまざまなジャンルで個性を発揮してきました。今回のコレクション・ギャラリーでは1960、70年代に世界的な評価を得たポスター(シルクスクリーン・プリント)を紹介することで、一作家の創作活動における「日本」イメージの系譜をたどります。
 江戸絵画が、鎖国政策による異文化との接触がほとんど途絶えた中でその独自性を築きあげたのに対し、横尾は浮世絵に代表されるイメージとしての「日本」を踏襲しつつも、戦後急激に流入した欧米の文化や美術(ポップ・アート)に大いに刺激をうけ、豊饒で斬新なイメージを生み出しました。これらの物語性を強く帯びたポスター群は、土方巽や三島由紀夫、寺山修司、唐十郎らの芝居や舞台の美術担当の仕事として主に制作されました。なかでも唐十郎の劇団「状況劇場」のために制作したポスター《腰巻お仙》は、1967年のニューヨーク近代美術館の展覧会『ワード・アンド・イメージ』において1960年代主要作品に選ばれました。また初めての版画作品として制作した《責場》は1969年のパリ青年ビエンナーレにおいて版画部門グランプリを受賞した記念碑的な作品でもあります。横尾の版画は、演劇、映画、文学、歌謡界など大衆文化が花開いた1960年代日本の混沌とした、それでいて活気に溢れた状況を鮮やかに映し出していると言えるでしょう。
 なお、これらの版画作品は1990年代に当館が購入したものであり、2003年に個展(「横尾by ヨコオ 描くことの悦楽:イメージの遍歴と再生」)として結実したことは、美術館のコレクションの形成と展覧会の開催という活動の二本柱が、長期的な視座のもとで行われるべきである、ということを再確認させてくれます。

(研究員・牧口千夏)


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