奥信濃の鶴と亀

過疎の限界集落への問題提起でもなく、「都会を捨てた田舎暮らし」の夢を語るのでもなく、いまそこにあるイナカと、そこに住むジジババたちのファンキーな生きざまをリスペクト目線で追う、たぶん日本唯一のメディア、それが『鶴と亀』だ。

『鶴と亀』は長野県飯山市に住む小林徹也・直博兄弟によって、2013年から発行されているフリーペーパーである。南北に広がる長野県はエリアによってずいぶん風土が異なるが、飯山市は県域のいちばん北東部になる「奥信濃」と呼ばれる地域。斑尾高原や野沢温泉など有名スキー場でおなじみだが、そのぶん冬期の5ヶ月間は雪に覆われる日本屈指の豪雪地域。飯山市は全域が特別豪雪地帯に指定されているほどだ。

戸狩温泉スキー場を過ぎたすぐ先の三郷(さんきょう)地区に、『鶴と亀』編集室を兼ねた小林さんたちの家がある。「築180年くらいでしょうか、僕らで十数代目ですから」という、土蔵つきの堂々たる古民家だ。

このあたりは飯山の市街より、さらに積雪量が多いんで。一晩で1メートルとか降りますから。3日も出かけたら、家が丸ごと雪に埋もれて入れなくなっちゃう。いまは機械があるからいいけど、昔は雪がひどくなると、ほぼ一日中雪かきしてたなんて話を聞きますからねえ。自然と家にこもりがちになります。最近は都会からの移住組もけっこういますけど、最初の1、2年でかなり辛い思いをするので、帰っちゃうひとも多いです。ここまでの雪を想定できないから。

小林さんのお宅は両親が兼業農家。農村部によくあるように、子供たちの世話をするのはおじいさん、おばあさんという家庭だった。

このあたり、山はいくらでもあるけど、公園とかがあるわけではないし、意外に子どもが遊ぶ場所ってないんです。それで学校帰りにいろんな家に行くと。どの家も鍵かけてないですし、いまだに。うちなんかもじいちゃんばあちゃんが集まる家だったんですが、そういうところで年寄りと子どもが一緒に遊んだり。ウンコしに寄るだけの家もあったな(笑)。でも、じいちゃんばあちゃんはそれでもうれしいんですよ、子どもが遊びに来たら。

小林兄弟のうち、兄の徹也さん(29歳)は高校卒業後、1年間地元で働いて上京資金を貯めたあと、東京に出てきた。ちょうど、SEEDAなどによるミックステープのシリーズ「CONCRETE GREEN」が爆発的な人気を得ていた時期で、いきなりヒップホップ・カルチャーのとりこに。いろんなバイトで生活費を稼ぎながらクラビングにどっぷりハマり、5年間を過ごしたあとに飯山に帰ってきた。現在は週の半分を地元農協で働き、もう半分は長野市でウェブ関連の仕事についている。

弟の直博さん(26歳)は中学生時代に田我流のスティルイチミヤに出会い、やはりヒップホップの洗礼を受ける。高校時代にインターネットが開通すると、さらに「外へ出ないと」という欲求が高まり、卒業後は埼玉県の大学に進学。飯山に帰った現在は写真の仕事がだんだん増えて、地元以外に東京や、ほかの地方にもよく出張して忙しく過ごしているという。

やっぱり都会に憧れますから、そりゃ一度は出たくなります。当時、渋谷パルコに『オンリー・フリーペーパー』という、全国のフリーペーパーだけを集めた店がありまして、そこに通ってはいっぱいリュックに詰め込んで、読んでたんですよね。そのうちに自分たちならどういうのができるのかな、って思い始めて。そうすると、飯山でかわいいギャルが出てくるフリーペーパーはできないけど、じいちゃんばあちゃんが出てくるフリーペーパーならできるんじゃないかって。

家業を継ぐためにいやいや、とかじゃなくて、僕ら兄弟はふたりとも自主的に飯山に帰ってきたんです。それはやっぱりネットが使えるようになったことが、すごく大きい。東京にいるときと同じことを、自分のルーツがある場所でやれるから。それに自分たちが帰るころ、ちょうど北陸新幹線も開通しそうなタイミングだったので、用があるときだけ東京に出るのも簡単になるだろうと。もちろん、実家なので生活費も楽ですし。

飯山には当時、フリーペーパーがひとつもなかったんです。『鶴と亀』は2013年に第1号を出して、それからほぼ1年に一冊のペースで来ましたけど、ふつうのフリーペーパーみたいに読み捨て、というのではないのをつくりたかった。いちど読んで終わりじゃなくて、取っておきたくなるような。そのためにはぺらぺらの大判より、これくらいのほうが持って帰るのも、取っておくのも便利だろうし(『鶴と亀』通常号はB6サイズ)。印刷もネットで安いところはいくらでも探せるすけど、地元の小さな印刷所にあえてお願いして。『鶴と亀』を刷ってもらってるのは、家族だけでやってて、表札もかかってないような地元の印刷所ですから。

「飯山って、ほら、商店街も寂れてるし、新幹線の駅があるのにゲットーっぽい雰囲気でしょ」と笑うように、『鶴と亀』のベースにあるのは、地方誌の定番であるエコな暮らしとか伝統の再発見とかではなく、ヒップホップ・スピリットだ。

『鶴と亀』がちまたで話題になったのはなによりも、カラフルだったりワイルドだったり、ふつうに想像される「年寄りの格好」とはまったく異なるテイストのファッションセンスと押し出しマックスのじいちゃんばあちゃんポートレートだった。それを単純におもしろがるひとがいたし、ヒップホップ好きな若者編集者が老人たちに着せて遊んでるんだろうと、おもしろがりながらも違和感を覚えるひともいた。

僕らとしては飯山で日常出会うじいちゃんばあちゃんの、たとえばオーバーサイズのジャージをだらっと着たり、キャップを斜めに被ったりという、サグな(笑)着こなしが、素直にかっこいいと思えたんです。ただ世間には、田舎のじいちゃんばあちゃんはこういう格好、という決まりきったイメージというか、テンプレートがありますよね。ほんとはそんなんじゃないのに。

若いころから大切に手入れしてきた労働着で、民芸テイストの家具調度に囲まれて、昔から受け継がれた暮らしの知惠にあふれて・・・・・・みたいなお年寄り像が、メディアには垂れ流されている。テレビや新聞から、ひらがなタイトルのほっこり系ローカルマガジンまで。

でも、日本の田舎に生きるお年寄りは、派手な柄物に柄物をあわせた作業着だったり(化繊のほうが作業には便利だし)、自分で編んだ草履じゃなくてゴム長やクロックスのパチモンを履いてたりする。コタツでお茶は飲むけど、お茶請けはスーパーで買ってきた漬け物やお菓子や、前の晩のおかずの残りだったり、おしゃべりしながらつくってるのは民芸じゃなくておかんアートだ。

『鶴と亀』に登場するじいちゃんばあちゃんがもしも奇異に、突飛に見えるとしたら、それはメディアが垂れ流す年寄りイメージに、こちらの目が曇ってしまっているということだ。『鶴と亀』が写し出す「田舎のリアリティ」に、都会ものの意識がついていけてないだけのことだ。いくら地元だからって、若僧のアイデアに乗せられて、妙な服を着て簡単に写真を撮られるほど、じいちゃんばあちゃんは甘くないのだから。

新幹線の飯山駅はいかにも急ごしらえのモダンな駅舎に、ほとんど空っぽの駅前広場とスーパーと隈研吾デザインの奇妙な「文化交流館」があるだけだし、商店街は例によってシャッター化が加速しているし、小林さんたちの三郷地区だって、限界集落ではないけれど、過疎化はずいぶん進行しているはず。

でも、そういう土地でじいちゃんばあちゃんは案外楽しくたくましく生きている。延々とループする「お茶のみ」噂話に興じ、電動カートで坂道を爆走し、温泉ランドでカラオケを絶唱し・・・・・・。ファンキーだったりドープだったりする『鶴と亀』の誌面が、ユーモアをまじえながら突きつけてくるもの、それはそのまま田舎のリアリティだ。

飯山はブロンクスではないし、じいちゃんばあちゃんにパンク・スピリットがあふれてるわけでもないけれど、「着たいように着る、生きたいように生きる」奥信濃の鶴と亀たちの生きざま=アティチュードが、期せずして既成の「おしゃれ哲学」にメンチを切る、アンチファッションのステートメントになっているように思えて仕方がない。ちょっとひしゃげて頭に載せた農協帽子は飯山流のNYキャップなのかもしれないし、ばあちゃんたちの手拭いづかいはサウスLAあたりのギャングスタのバンダナづかいと、どんなに近しいことか。

『鶴と亀』に登場するじいちゃんばあちゃんのファッションに違和感や拒絶感を覚えるとしたら、それはこちらが「着こなしはこうあるべき」という価値観にすっかり毒されてしまっている、ということでもある。

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